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#INTERVIEW 吉田明広 インタビュー

2025年3月7日

2025.03.07

吉田明広 インタビュー

編集部がいまスチルライフ・フォトグラファーとして注目しているのが吉田明広さん。吉田さんは今年、渋谷区・広尾に新しく事務所兼スタジオを開設。また新たにレタッチャーも加入し「撮影からフィニッシュ」までをワンストップでこなせる環境を構築している。

商品撮影では広すぎる?ほどのゆったりした環境でリスタートをきる吉田さんに、フォトグラファーになるきっかけ、写真学校からアマナ時代を経ての独立、そして「現在とこれから」の話を訊いた。

インタビュー:坂田大作(SHOOTING編集長)

坂田 始めに、吉田さんがフォトグラファーを目指そうと思われた経緯を教えてください。

吉田 元々の話をしますと、父がアートディレクターをしていました。僕もいずれはデザイナーとかアートディレクターになるものだと思っていました。

そんな折、僕が高校3年の時に父が急死しました。それで自力で美系大学に進んでデザイナーを目指そうと思っていたのですが、どうも絵とかデッサンとかが苦手で(苦笑)。

僕は5年一貫教育の「高専」に通っていたので、20歳までは学生をするつもりでいました。高3で父が他界した後に将来を考えた時、ぼんやりとですが「写真が好きだな」というのはありました。

吉田明広さん。

ある時、ベトナム戦争を現地で撮影されていた沢田教一さんの写真を見たんです。ピューリッツァー賞を受賞した「川を渡る家族」の写真は有名ですが、それらを見てフォトジャーナリストは、歴史に自分の仕事を残せるということを知り、高校生の自分にとって憧れの世界に映りました。

それに触発され、中古の「ニコンFM2」を買ったのが始まりです。

坂田 「ニコンFM2」は完全マニュアル機で、写真学科生にも人気の機種ですね。

吉田 高専の4〜5年生時代に写真を始めたら楽しくて、それで20歳から24歳まで東京工芸大学で写真を学びました。そこが大きな変化でした。

大学に入ってもドキュメンタリーがやりたくて、アルバイトをして貯めたお金で海外へ撮影に行ったり、ドキュメンタリーっぽいものを撮影して、ニコンギャラリーで展示をさせてもらったり。「ドキュメンタリーフォト」を模索しながら、大学の4年間で色々できたかなと思っていました。

2004年度 三木淳賞奨励賞を受賞した作品「記憶の地図 ~The wind of Nepal~」より。

その後、いざ就職する段になって、やはり皆が、まずアマナを受けるんです(笑)。当時はアマナがもうすぐ上場する、というタイミングもあって盛り上がっていました。

ワークショップ的な面接があって、僕も学校の仲間と参加しました。その時に、自分が作っていたドキュメンタリーのBookを持参したのですが、それが好評でアウラ(アマナグループ)の小山一成さんにお声がけいただいて、入社しました。

坂田 ワークショップに参加して正解でしたね。

吉田 そうなんです。ワークショップというよりは、アマナグループの撮影現場のデモンストレーションでもありましたね。

坂田 学生時代にきちんとBookを作っている人は少ないと思います。

吉田 僕の場合、在学中に「ニコンギャラリーで展覧会をしたい」という目標があって、その審査のプレゼン用にちゃんとしたポートフォリオを作る必要があったので。当時は、RCペーパーにプリントしたものをまとめていましたね。

坂田 アマナ自体は「The 広告」という撮影が多かったと思いますが、ドキュメンタリーを撮っていた当時の自分としては、とまどいやギャップはなかったですか?

吉田 当初は自分のやりたい事とは真逆でしたからね(苦笑)。ただそこで辞退しても、まだ評価されるようなものは自分には何もなかったし、技術は身につけておいて損はないので、とにかくアシスタントとして学ぼうと思っていました。

当時は仕事がすごく忙しくて、感覚が麻痺してましたね。仕事はスタジオ撮影ばかりだったので、先輩方の仕事をアシストしながら、「自分も(スタジオで)作品撮りをしたい」という欲が沸いてきました。

とにかく忙しくて(笑)、ドキュメンタリーフォトのことは忘れてしまうほど、スタジオ撮影にのめり込んでいました。また当時は「スタジオで作品を撮らないと、ロケだけではプロになれないよ」という風潮でした。それで「気づいたらスタジオで作品を撮っていた」という感じです。

Personal Work

坂田 その時は、人物ではなくブツ撮りだったのですか。

吉田 そうですね。所属していたフォトグラファーが皆ブツ撮り系だったので、自分もそうなっていましたね。特に人を撮りたいという意識もなかったですし。

「写真を撮る」という行為に関しては、外でもスタジオでも楽しさは変わらないんです。学生の頃は暗室でのプリントワークを大切にしていました。その「プリントをする」という作業と撮影時のライティングはすごく似ているな、と思っています。

すごく単純な話で、明るくしたいところは明るくして、暗くしたいところは暗くする。それはまったく同義なんです。

坂田 暗室では“覆い焼き”や“焼き込み”をしますよね。

吉田 そうなんです。ライトでモノを照らしたり、見えづらくしたりするのは、その暗室作業の経験がかなり役に立ちました。

坂田 見せたい部分や隠したい部分など、「自分の意思」でコントロールすることができますね。しかもアマナは日本でもブツ撮りに関してはトップレベルの方々が多くいらして、技術を学ぶには最適な環境とも言えますね。

吉田 スタジオでグラデーションを作るという考え方や、デジタル的なテクニックではなく写真技術を向上させるために、皆で切磋琢磨していたので、よい刺激がありました。

社内にレタッチルームがあって、壁にレタッチ途中の写真がたくさん貼ってあるんです。それを見ると誰が撮ったのか、またレタッチの流れとかがわかるんですね。誰に聞くわけではないけれど、レベルの高い情報が共有されていたのは、自分にとって恵まれた環境でした。アマナには2005年に入社して、2014年9月末までいたので、約9年半在籍しました。

CL:KOSE ADDICTION AD:RISSI Ph:吉田明広 ST:原田陽子 Ret:岩沢美鶴

坂田 独立するきっかけは何だったのですか。

吉田 「10年が節目」というのは、何となく頭の片隅にありました。周囲でも鈴木崇史さんが僕の2ヶ月前に辞めたりとか、自分もタイミングを考えていて、独立しました。独立直後も、先に辞めた方々に色々と相談できたのは、ありがたかったですね。

フリーランスになると、皆競合相手でもあるので、本気で相談できる人って中々いるようでいないですから(笑)。

坂田 最初は大変ですよね。

吉田 そうですね。社員であれば制作に集中していれば、それ以外のことは周囲がやってくれますからね。それが独立すると色々変わります。

CL:SIROK FAS AD:木本梨絵 Ph:吉田明広

坂田 独立してから、仕事に対する考え方の変化はありましたか。

吉田 色々ありますが、独立したら「写真で食べるって大変だな」と思いました。今までは企業の大きな傘の下で仕事をしていたのが、看板がなくなると「こんなにも仕事が減るのか」と(苦笑)。そのため、当初は営業もしていましたね。

坂田 独立すると、入り口から出口までのフローを自分でやらないといけないので、撮影以外の仕事が増えますよね。

吉田 最初は「お金の話」をするのがすごく苦手でした。例えば、制作会社の方に見積もりを頼まれても、自分の撮影料をいくらにしたらよいのかわからない(苦笑)。

幸い知り合いのプロデューサーがいたので、撮影料の話や、例えば「シズル師をいれたら1Dayいくらなのか」とか、そういう具体的なことを相談できたのはありがたかったですね。特に撮影料に関しては、高すぎず安すぎずという点は、1年くらい悩みながらやっていました。

撮影に関しては悩むことはあまりないのですが、「撮影にいたるまで」には悩みが多かったですね。独立して約10年経って、やっと全てのことに慣れてきた感じですね。

坂田 独立して以降に、写真に対する考え方は変わりましたか。

吉田 最初に懸念していたのは、2014年に独立して、そこから「自分が新しくなれないのでは」ということ。それが怖かった。

会社を卒業した時点から情報も共有されないし、自分から集めにいかないといけないわけです。でもやってみたら、意外とそうでもなくて。また撮影を続けるうちに自分のスタイルが徐々に見えてきました。人のことが気になったり、外を向いていたところから「自分の良さってなんだろう」と自身の内面と向き合うようになったんです。

雑誌のインタビューで「カメラマンが営業するのはカッコ悪い」というのを読んだことがありますが、フォトグラファーの営業は、本質的には「自分の作品を発表すること」だと思っています。

ただパーソナルワークをそこまで作れているわけではなかったので、せめて仕事の写真は許可どりをしてなるべくマメにWebに公開するようにしています。10年経って「自分はこういうのが得意です」というのがようやく見えてきました。

坂田 吉田さんの得意な表現というのは、言葉にするとどういうことになりますか?

吉田 もともとデザイナーになりたかったこともあり、「画面構成の美しさ」とか「グラフィカルな写真」が撮りたいと思っていました。今もデザイン感覚はフォトグラファーの中では割とある方だと思います。

CL:KOSE ADDICTION AD:RISSI Ph:吉田明広 Ret:奥津智彦

ここ最近、「HONEYQUE(ハニーク)」というシャンプーの仕事をしています。シャンプーのシズル表現なのですが、企業(クライアント)とデザイン会社と、弊社だけで進めている案件です。

その仕事をさせてもらっているうちに、シャンプーの会社の写真表現として話題になって、業界の中でバズったんですね。

坂田 「このビジュアル、誰が制作しているだろう?」という感じになりますね。

吉田 そうなんです。自分のやりたいこととか、“今後やっていきたいシズル表現”として面白いなと、感じるきっかけにもなりました。これを一緒に作っているADもおもしろい方なんです。

CL:Stellaseed HONEYQUE AD:佐々木智也 Ph:吉田明広 Ret:岩沢美鶴

坂田 「HONEYQUE」のネーミングは蜂蜜からきているのですね。

吉田 そうです。このシリーズには蜂蜜の成分が入っているんです。クライアントとADとのチームで、ここ5年ほど続いています。

長く続けることによって「シャンプーやコスメを撮っている人」というイメージもついてきたように思います。コスメはアマナ時代からよく撮影していたのですが、シャンプーで注目されるのは珍しいです。

坂田 シャンプーやボディソープなどの日用品は、無難な表現になりがちですよね。

吉田 そうなんです。どうしても大手企業の製品はコンサバティブになりがちですよね。ただ、今は「シャンプーは戦国時代」と言われています。要は新興企業が「ボタニカル」「植物由来」を軸にした製品で売り上げを伸ばしてきています。

CL:Stellaseed HONEYQUE PINK BERRY AD:佐々木智也 Ph:吉田明広 Ret:正木啓五

700〜800円したものが売れなくなってきて、1本1,500円以上する「いいものを使おう」という流れになってきています。その「ちょっとお高め」の市場にいち早くビジュアルを含めて製品をアピールしてきたのが「HONEYQUE」で、売り上げも伸びてきています。

坂田 adidas、NIKE、New Balanceのシューズは王道ですが、デザインの斬新さや厚底で「on」や「HOKA」が伸びましたよね(笑)。「HONEYQUE」も企業と制作サイドの“よい関係性”の中から生まれている表現ですね。

吉田 そうですね。やりたい表現を皆で相談しながら作っています。「HONEYQUE」に関しては、毎回この会社の代表も立ち会われるので、現場での意思疎通も早いです。

CL:Stellaseed HONEYQUE Kinmokusei AD:佐々木智也 Ph:吉田明広 Ret:岩沢美鶴

新スタジオを作るきっかけ

坂田 移転されたこの事務所兼スタジオははかなり広いですが、きっかけは何だったのですか。

吉田 一番大きいのは、レタッチャーの結城が社員として入ることが決まったからですね。後で紹介しまますが、上階にレタッチルームを設けています。

仕事上、レタッチの立ち合いがけっこうあるんですね。現場でプルーフを出力するとか。紙媒体の撮影が減ってきたとはいえ、特に化粧品とかは色が重要視されるので、「立ち合いスペース」が必要だと前々から考えていました。海岸エリアでもう一部屋借りることも考えたのですが、撮影している現場と距離が近い方がいいですしね。

天高は約4mで人物も十分撮れる。中二階に立ち会いができるスペース(兼レタッチルーム)がある。
スタジオ内にメイクルームも完備。

アマナで約10年、海岸で10年。では「次の10年をどうするか」と考えた時に「人材とスペースに投資をして仕事を拡張できれば」と思い、移転を決めました。移転してまだ間もないですが、チームとしてまとまってきています。

レタッチャーが在籍していることで1002 incとしてのアウトプットのクオリティが安定しますし、何よりレタッチチェックからフィニッシュまでがスムーズになりました。今は作業場が離れていても、リモートで仕事ができるようになりましたけどね(笑)。ただ心理的にも物理的にも近くにいて直接会話ができると、微妙なニュアンスもやりとりしやすいです。

CL:SHARP CRYSTALIQ AD:三木香 D:初見杏子 Ph:吉田明広 Ret:岩沢美鶴

撮影で心がけていること

坂田 撮影について、業種に関わらず気をつけていること、心がけていることはありますか。

吉田 どのような仕事でも、コミュニケーションを大事にしています。広告写真を扱うものとして、お互いのコミュニケーションの上で、最後に「撮影」というテンションの高いところをやらせてもらっているので、そこで意思の齟齬はあってはならないと思っています。

そこは確実に「どのような商品なのか」「何を目指しているのか」「ターゲットはどういう方達なのか」等々、撮影前にその共通認識が醸成されるまで、とにかく会話を続けます。

最終的にその商品が売れれば一番良いのですが、どんなにいい写真が撮れたと思っても、その商品が売れるかどうかまではわからないじゃないですか。そこまではコントロールできないですが、売るための目標を立てて、お互いにコミュニケーションをとる中で「どういう写真にしていくか」が大事です。

僕自身は自分のカラーに強いこだわりがないタイプで、どちらかと言えば市場やクライアントがどういうものを求めているのか、それに応じて自分の写真も進めていけます。

「フォトグラファーは個性を持つべき」というのは、僕の中ではあまりなくて「こだわりがないのがこだわり」なんです。でも本当は、こだわりがないわけではなく(笑)、いつも自分が透明な気持ちで製品やその撮影に向き合うことを心がけています。

坂田 企業側の意図を理解して、それをうまく引き出せるアイデアや技術を持っていることが重要なんですね。

吉田 そうです。「僕のハイライト、かっこいいでしょ?」のような感じとは真逆です。もちろんハイライトが必要なところには入れます。

今ってSNSが流行っているので、写真がどれだけカッコよくても、それで商品が売れるというわけではないことに、みんな気づいているんです。誤解を恐れずにいうと、広告会社が入るクリエイティブは商品を売るためでもあり、自分たちの作品として機能させようと感じる部分もあります。

今は広告代理店主導で、大きな媒体で大きな広告キャンペーンを打ち出して…、という時代と少し変わってきている気がするので、「一つ一つの仕事に誠実に向き合っていくこと」「クリエイティブに関してフラットに考える」ということを意識しています。

広告においても、ネットを中心に個人の嗜好に合わせたアプローチがされていく中で、広告表現のあり方は変わっていくと思いますね。街中のポスターが減る中、スマホを見ていて「おっ」と思わせるようなものを作っていかなければいけない。広告としての伝え方や表現が変わってきているのは僕は良いことだと捉えています。

CL:MTG Ph:吉田明広 Ret:結城香織

表参道ヒルズに掲出されたOOH(一部)

坂田 新しく移転されたことも転機ではありますが、今後やってみたいこと等はありますか。

吉田 「HONEYQUE」もそうですが、最近は企業の方と直接話をする機会が増えました。今後もメーカーや制作会社との直案件を増やしていければと考えています。

後はコロナ禍直前に、個展を開いたのですが、あれをリベンジしたいなと(笑)。

坂田 私も伺いましたが、渋谷ヒカリエでの展覧会ですね。

AKIHIRO YOSHIDA SOLO EXHIBITION「Resilience」
https://shooting-mag.jp/news-report/3467/

吉田 2020年2月に開催しました。日本は4月から緊急事態宣言が出ましたが、その直前で、人手が減っていましたしね。

坂田 個人作品の展覧会ですね。固体と液体の中間を捉えたような写真で、印象に残っています。

吉田 ありがとうございます。現在、グループ展のお声がけもいただいており、継続して作品も発表していく予定です。

「Resilience」より。

スチルライフ、商品撮影の魅力とは

坂田 スチルライフフォトグラファーを目指す人が少ない気がしているのですが、吉田さんが思う商品撮影の魅力って何でしょうか。

吉田 スチルライフの良さというのは、「全て自分でコントロールできる」ということにつきます。人物撮影は、モデル、ヘア、メイク、スタイリストがいないと、一つのものができません。チームで作る面白さもあると思いますが、スチルライフの場合は、全て自分で選択できます。

スタジオワークの場合、どのレンズを使うのか、絞りをどうするか、光をどこから当てるのか、それらを全部自分で選べます。もちろんその分、責任の重さや葛藤もあり、また喜びもあります。

「いい写真が撮れた時の嬉しさ」って、いまだにあるんです。どれだけ経験を積んでも得られる喜びはあります。慣れとか経験値ではなく、「こういう写真が撮りたい」というイメージがあれば、コツコツ技術を磨いていけば、そこへ近づけます。僕自身、長く撮影の仕事を続けていても“嬉しさ”ってなくならないんです。

坂田 20年近く撮られていても、そうなんですね。

吉田 経験を積んで気持ちに余裕が出てくると予定調和になりがちですが、いつもとは違うライトを組んでみて、それがうまくいった時も嬉しい。「ここからこういうライトを当てれば、こういう写真になる」というのはおおよそ読めるのですが、それを敢えてやらずに違うことを試すんです。

「Resilience」もそうですが「偶然の面白さ」が写真の魅力の一つだと思っています。仕事の場合、「それってプロとしてどうなの?」という意見もあると思いますが、経験を積むと“偶然も力にできる”ことがあります。

CL:Stellaseed CLEND AD:佐々木智也 D:中根佳菜子 Ph:吉田明広 Ret:岩沢美鶴

坂田 コントロールしながらも、予測できないジャンプができる可能性があるんですね。

吉田 そうです。そこは経験値が豊富な人の考え方かもしれないですが。あまりよくなければ、元に戻せばいいので(笑)。偶然性も写真の魅力なので、広告だからってトライしちゃいけないことはない。

坂田 今はCGもレタッチもある中で、整った広告写真は既視感があり、印象に残りづらくなっている気がします。

吉田 みんながキレイなものに見慣れてしまっているんです。特にSNSの時代に、必ずキレイに撮らなければいけないという理由はないんです。自己満足の部分もあるかもしれないですが、少しずつでも写真に「変化」や「良い意味での違和感」を持たせていきたい。

若い人へのメッセージとしては、ドキュメンタリーを撮るのも、モデルもゴリゴリのブツ撮りも、「シャッターを切るというところでは何も変わらない」気がするんです。

後は自分が興味のあるもの、例えば可愛い女の子が好きなら、全力で可愛く撮ってあげる努力をすればいい。僕はモノへの執着が強い方だったので、たまたま商品撮影が向いていた、ということです。

どんな仕事でも与えられた仕事を全力でやっていれば、楽しく感じると思うんです。それが「自分には向いていない」と感じるのは、本気で取り組んでいないだけかなと。その道を極めていくために努力していけば、楽しさって見つけられるものだと思います。

結城香織さん(ディレクター、フォトレタッチャー)

坂田 結城さんは、吉田さんの事務所移転を期に、ディレクター兼フォトレタッチャーとして入社されたと伺いました。それまでの経緯を教えてください。

結城 私は、2011年にアマナ内のレタッチやCGの部署でスタッフとして働き始め、2013年に社員として入社しました。

画作りが好きだったので、上司の代わりにプレゼンや撮影現場に行ったり、仕事をする中で徐々に職域が広がっていきました。たまたまデザイン要素を含むような画を作る案件があって、YOJI YAMAMOTOさんのスカーフの仕事だったのですが、それがすごく評判がよくて、自分でももう少しらしさを出した仕事をしたいなと考えるようになりました。

それで社員になり、様々なフォトグラファーと仕事をさせていただいていました。吉田がアマナを辞める直前くらいから一緒に仕事を始めました。

結城さんのclient work。CL:MTG ReFa AD:山本茜 Ph:吉田明広 Ret:結城香織

吉田 結城は動画チームにもいたんです。

結城 そうですね。当時「CG・レタッチチーム」だったのですが、写真を動かしたり、アニメーションができる方達もいて、私もAdobeのAfter Effectsなどを勉強して、少し動画も扱えるようになっていました。その縁で、吉田とも仕事をしていました。

せっかくのご縁だったので、吉田が辞めたあとに手紙を書いたんです(笑)。その声を拾ってくれて吉田がアマナから独立した後も、私に仕事を依頼してもらっていました。

坂田 アマナは車からジュエリーや時計など、仕事で扱うビジュアルの範囲が広いじゃないですか。結城さんはレタッチャーとして得意なジャンルはあったのですか。

結城 基本的にはジュエリーから人物まで、全ジャンルをやっていました。その中では関連会社のヒューとの繋がりでフードの仕事も多かったですね。フラッペとか(笑)、シズル表現が増えていきました。

坂田 吉田さんの仕事は、コスメやシャンプーなどのプロダクトなので、フードとは違う気がしますが、その辺りはどうなんでしょうか。

結城 レタッチの仕事としては同じ感覚なんです。画は違うので、うまく言えないのですが“ツボは一緒”というか(笑)。

結城さんのclient work。CL:MTG ReFa AD:山本茜 Ph:吉田明広 Ret:結城香織

最終フィニッシュに向けて、「こうするといい感じになるだろうな」というポイントを考えながら作業していきます。食の写真では「美味しそう!」って思えるシズルがあるじゃないですか。その感覚は、製品カットでも一緒なんです。

レタッチ以外にもプロデュース的な活動もしていて、ヒューのフォトグラファーと作品を作って「Yellow Coner」で販売をしたり、関連のビジュアルを作るなど、アマナでは色々と経験をさせてもらいました。

結城さんのpersonal work。

坂田 吉田さんの事務所(1002 inc)に入るきっかけは何だったのですか。

結城 個人のクリエイティブに関わっていくのも面白いのではないかと思っていて、それと1002 incの移転・拡張していくというお話も伺って、よいタイミングと思って入社希望しました。

坂田 レタッチというと「修正をする人」というイメージが未だにありますが、結城さんの場合は、作家的な発想がありますよね。そこはこれからのレタッチを含めた画作りにとって重要な気がします。

吉田 レタッチャー主体で画を作っていくのは、あまり聞いたことがないですね。結城の場合は、レタッチャーの枠ではなくて画作りのディレクションを含めた能力があるので、そこが彼女の魅力かなと思います。

結城 ありがとうございます。

吉田 これからの時代、言われたことをこなすだけではジリ貧になっていくと思うんです。それこそAIも日々進歩していますし。フォトグラファーを含め「提案できるような体制」を作っていった方がよいと思いますね。

坂田 フォトグラファーとレタッチャーがチームでいると、プレゼン力が上がりますよね。

吉田 先ほど、クライアント直の話をしましたが、「直案件」って画作りに関してちょっと“ふわっとした”話も多いんですよね。そのため、こちらから具現化したものを見せる方が話が進みやすい。

広告写真って基本は受注産業じゃないですか。でも直の仕事はラフはあってないようなものなので、画をこちらがリードして作っていかないと、うまく進まない事も経験上あるんです。

坂田 イメージをビジュアル化すると、相手の方も方向性があっているのか、そうでないかジャッジしやすいですよね。

吉田 発注側、企業側の人も皆さんお忙しい方が多いんです。そのためデザイン的な部分を代理店や制作会社に頼むところもあれば、自社内でやらなければならない企業もあります。そういうケースでは画作りに関してこちら側主導で進められるかどうかが重要です。

写真を含めた広告制作に関して、今後は「ビジュアル提案型」のパターンが増えていきそうな気がしています。そういう意味で、画作りを1002 inc内で完結できることを強みにしていきたいなと思っています。

吉田明広(Photographer)


1980年 東京生まれ。
2005年 東京工芸大学芸術学部写真学科卒業
2005年 アマナグループ入社
2014年9月 アマナグループ退社・独立。
2014年10月 写真事務所1002(イチゼロゼロニ)設立。
2016年10月 株式会社1002設立。
2025年1月 広尾3丁目にスタジオを移転。
https://www.1002inc.com/
   
 

結城香織(Director / Photo Retoucher)


2008年 多摩美術大学造形表現学部卒。
2011年 株式会社アマナデジタルイメージング/CGデザイナー(レタッチャー)。
2022年 株式会社アマナ/プランニング&ディレクション。
2024年 株式会社1002へ参画。

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