東京・中野坂上駅から神田川沿いに向かったビルの一角に写真事務所兼スタジオ「sinca(シンカ)」がある。一見普通のオフィスビルだが、地下に降りると天井の高い白い空間が広がっている。
sincaを主宰し、主に広告撮影を中心とするフォトグラファーの藤本伸吾さんと古賀親宗さんに、写真を生業にするきっかけから仕事に対する考え方、スタジオを所有する写真事務所のメリットを訊いた。
Interview:坂田大作(SHOOTING編集長)
坂田:先にお一人ずつ話を聞かせて下さい。藤本さんが写真に興味を持ったきっかけは何ですか。
藤本:学生時代の体験から言うと、ずっとサッカーをしていました。プロを目指していたのですが、膝に故障を抱えてしまったこともあり、大学2年の夏にサッカー選手の夢は諦めました。それで、趣味で続けていた写真をずっと続けていこうと決めました。具体的に何かを目指すというよりは“志を持った”という感じです。
大学が茨城だったので卒業後に東京に戻りました。お金を貯めては海外に行って、バックパッカーをしていましたね。偶然ベトナムで知り合った風景写真家の佐山哲男さんという方がいまして、その方は当時、4×5のポジで撮影して世界中のライブラリーにストックフォトとして預けておられました。
「いつ」「どの国の」「何が美しい」というのが経験値として持っておられる方だったので、世界中を回って撮影されていました。僕も興味があったので、帰国後に連絡して、一緒にヨーロッパに行ってキャンピングカー生活をしたり。10ヶ月程度仕事をご一緒する中で、「これだけ頑張らないとフォトグラファーとして食べていけないんだ」というのを実感すると共に、帰国後に自分の暗室を作ったり、展覧会やフリーペーパーを作る活動も始めました。
その一環でドイツのレコードレーベルとコラボしたり、デンマークのギャラリーへはインスタレーションをしにいきました。
坂田:アーティスト活動をされていたんですね。
藤本:今思えばそうですね。インスタレーションをしに海外に行った際に、むこうの新聞記者から質問を受けた時、自分がどの立場からものを言っているのか、わからなくなってしまったんです。それがきっかけで「写真でプロになろう」と、決意しました。
坂田:アマナに入社してからはどうだったのですか?
藤本:当初僕は、撮影現場でのデジタルオペレーターをしながら作品を撮り溜め、アマナの撮影会社各社にプレゼンをして「hue(ヒュー)」に入りました。
坂田:hueにはいつ頃入られたのですか。
藤本:2007年頃です。
坂田:hueに入って、学んだことは何ですか。
藤本:セットの作り方やライティングはもちろん、そこから続けていく中で、商業写真を作っていく上での“所作”を学べたことが大きかったです。
集中した短期間で場数を踏めるのは、自分にとってすごく勉強になりました。あとはアシスタントの使い方とか。アシスタントがいないと、カメラマン一人で写真は撮れませんから。彼らに上手く仕事をしてもらうための指導や気遣いも大事だなと思います。
坂田:広告の仕事をたくさんしていく中で、撮影だけでなく仕事の入り口から出口まで、経験できるのが大きいですね。hueには何年いらしたんですか。
藤本:ジュニアフォトグラファー時代を含めて、4年所属していました。独立心を持った元気な仲間が多く、動物園みたいな感じでした。
hueを退社後はフリーになりました。後で話すと思いますが古賀の方が先にアマナを辞めていたので、連絡をとって「手伝ってほしい」という話をして、sincaの立ち上げから今まで一緒にやってきています。
坂田:古賀さんが写真に興味を持ったきっかけは何ですか。
古賀:僕の地元は観光地で、観光写真業として川下りの記念撮影や、集合写真を撮る仕事から始めていました。
観光写真以外の技術を磨きたいと思って「専門学校に行こう」と決めて、上京して日本写真芸術専門学校に入りました。記録写真、記念写真ではない自分の表現の幅を広げたいなと思っていました。
写真学校で課題を出されますよね。同級生が30人位いたのですが、皆がそれぞれ違う視点で撮ってくるので何が正解なのか、模索しながら写真を撮っていた時期でした。
当時は自宅に暗室を作っていたこともあり、暗室を目当てに同級生が集まっていて“答えのない写真談義”で夜明けまで話し込んでいましたね。
坂田:学生時代にそういう議論というか、写真の話をする時間は大事ですね。
古賀:授業の中で広告写真を学んだ時に、記録的な写真ではなく、“何かを伝える写真”と言う所に魅力を感じました。その頃は出版社でバイトをしていたのですが、そこでアマナを知って、入社しました。
坂田:入社してから学んだことはなんですか。
古賀:当時のアマナグループ「voile」に所属して、広告写真を作り上げる人達の想いと撮影技術を融合させた表現の大切さを学んでいました。
坂田:学生時代と仕事の現場ではだいぶ違いますよね。
古賀:ライティング技術を経験できるのが大きかった。あとアマナでは最先端の撮影機材がたくさん使えたのも大きいですね。あの頃は日々の仕事がものすごく忙しくて(笑)、体力的にはハードでしたが、仕事の広がりも感じられて充実していました。
チーフになると、最初の打ち合わせから「どういう過程を経てこの絵を作っていくのか」というのを全てサポートしていくので、仕事の流れがすごく勉強になりました。自分の携わった仕事が世の中に出ているのを見ていると、嬉しかったですね。
数年間、voileでお世話になり、フォトグラファー昇格を目指しつつ続けるという選択もあったのですが、自分としては独立してやってみようという思いの方が強かったのでフリーランスになりました。
しばらくはフリーランスでフォトグラファーをしながら、フリーのアシスタントとしても活動していました。そこで藤本さんと出会って、後でsincaに加わりました。
坂田:フリーランスが多い世界ですが、法人にするメリットはなんですか。
藤本:会社形態にしようと思ったのは、一応古賀を雇用する形になるので、フリーランスとしてマネージメントしていく方法と法人化してやっていくのを検討して、あまり差はなかったんです。だったら経験するという意味も含めて法人化してみようと。
坂田:sincaの立ち上げ当初からスタジオもあったのですか。
藤本:そうですね。高円寺でスタートしましたが、法人を立ち上げるタイミングでこの中野坂上に物件が見つかって、ここで仕事をスタートしました。
坂田:ビルの地下ですが、天井はけっこう高いですね。
藤本:天高は4mです。もともと撮影スペースとして使われていたようです。近くに神田川が流れていますが、もし氾濫した場合に、このさらに地下に貯水タンクがあって、逆にシズル撮影でもそのまま下に流せてしまうんです。
坂田:結果的に「水まわりの撮影がしやすい」ということですね。
藤本:もしかしたら、それがこのスタジオの特長かもしれません(笑)。
坂田:他に自社スタジオを持つメリットはありますか?
藤本:商品撮影では色々な機材や小物も増えていくので、それをストックしておく場所が必要です。撮影に応じてモノも増えていって(笑)。機材も色々揃ってきて、今では様々な依頼に対応できます。それとセットが事前に組めるので、テスト撮影をしたり、シミュレーションもできます。
古賀:それがすごく大きいですね。商品を先にお預かりできれば、事前に色々試せますし、撮影したものを見て、クライアント側で「もう少しこんな感じはどうか」と問い合わせを受けた時にも、ブツ撮りならセットをそのまま置いておけるので、再撮や方向性の違うやり方でもすぐに対応できます。当日だけ借りているスタジオだとそこは難しくなりますね。
藤本:先日、外のスタジオで水張りをお願いしようとしたら、前日に「別料金が必要」とか「水張りできるスタッフがいません」とか、レンタルだと何かと難しい部分もあるんですね。
坂田:コロナ禍で気をつけていることはありますか。
藤本:床面積に対しての人数制限のガイドラインを設けています。
古賀:現状はかなりミニマム人数での撮影が多くなってますね。
藤本:ドアを開けっぱなしで、換気をよくしているとか、全員マスクと消毒をまめにするとか、基本的なことはしっかりやっています。
スタジオ使用料金の問い合わせも受けますが、自分等の仕事で撮影をする時は、特に公式な金額は設定していません。撮影費全体のバジェットも勘案しながら、相談させて頂く形になります。
ー「sinca」(写真事務所)としての魅力とは
藤本:撮影は私と古賀の2名体制で行っています。藤本、古賀という名前で仕事をしているので、何かあった際にバックアップをしあえますし、一人のスケジュールが合わなくても、もう一人が対応できる時もあります。
オーディションやロケハンで僕がいけない時でも「古賀さんなら安心です」と言ったことだったり…。コロナ禍になって、より安心感を求められることが増えた気がします。
坂田:レタッチワークはどうされていますか。
藤本:外部のレタッチャーに依頼することもありますし、プレオペは自分で行うので、納期次第では、自分でフィニッシュまでやることもあります。
古賀:レタッチに関しては予算や納期、合成がすごく多いとか、シンプルなのか、ケースバイケースで対応しますので最初に、全部含めて話して頂けると合わせて提案できますね。
藤本:ムービーやCM連動のグラフィックだと、そっちの予算の変動幅が大きいので(笑)、なるべく齟齬がないようにコミュニケーションをとりながら進めています。
ー 高円寺に新スタジオを開設
坂田:この中野坂上とは別に、新しくスタジオを作られていると伺いました。
古賀:はい。高円寺の方で料理もできるキッチンスタジオを兼ねた撮影スタジオを作っています。駅からは徒歩10分程度で、環七沿いなので車でも行きすいと思います。
藤本:スタジオは長い時間、その中で過ごすことが多いので心地よい空間を目指し、レンタルすることも検討しています。
坂田さんから“写真事務所訪問”でインタビュー受けておいて何なんですが(笑)、撮影以外のこともしていきたいなと思っているんです。
坂田:具体的にはどういうことですか。
藤本:コーヒースタンドとか。クラフトビールも作ってみたいですし、チャーハンも作りたいです(笑)
坂田:撮影だけでなく“食”もされていくのですね!
藤本:漠然となんですけどね。
坂田:“匂い”って印象に残りますよね。コーヒーの良い香りがすると、またそこに行きたくなります。
藤本:環七沿いの路面なので、歩いている方が「ここ何屋さんですか?」と、通りがかりに気にかけてくれると嬉しいですね。コーヒーとか食とかは具体例ですが、抽象的な言い方にはなりますが“余白”を作っておきたいんです。撮影でも「ガチガチにラフのまま撮ります」だけではなくて、現場でも“良い物を作るため”に考える時間や空間にも繋げていきたい。
古賀:昔ながらの商店街ではないですが、撮影関係なしに、サッと入ってきてコーヒーを飲んでいく、みたいな(笑)。地域に根ざした場所としてありたいんです。
藤本:事業登記的には「写真撮影スタジオ」なんですが、路面なのでギャラリー展示的な貸し出しも考えています。
坂田:完成が楽しみです。移転されましたら、また取材に伺わせてください。ありがとうございました。
藤本伸吾 Shingo Fujimoto
1978年 東京生まれ。
2004年 株式会社アマナ入社。
2007年 株式会社ヒュー入社。
2011年 独立。
2014年 sinca.inc設立。
古賀親宗 Koga Motonori
1983年 福岡県柳川市生まれ。
2005年 日本写真芸術専門学校卒業。
2005年 株式会社アマナ入社。
株式会社voile設立と同時に入社(アマナグループ)。
2009年 フリーランスとして活動開始。
2014年 sinca.inc所属。
http://sinca-inc.com/