16年間、ファッションフォトを中心にニューヨーク(以下NY)で活動されていたフォトグラファーのSeiji Fujimori(藤森星児)さん。2022年秋に帰国し、今後は日本を拠点に活動していくという。
以前「SHOOTING」でもコラムを書いて頂いていた筆者でもある藤森さんに、海外で活動していくため、どのように仕事を得ていったのか、また言葉の壁やレップ・エージェンシーとの契約など、長く海外で活動されていた中で経験されてきたことを伺った。
Interview:坂田大作(SHOOTING編集長)
はじめに、フォトグラファーになるきっかけから教えてください。
フォトグラファーを目指す前は「フォトム」という、車のライティングを行う専門の会社に勤めていました。

藤森星児さん。
大型車も搬入できるドーム型のスタジオも持っていた会社ですね。
そうです。そこでプロのライトマン(照明技師)を目指していました。一般的なルートで言えば、アシスタントで入って、セカンド→チーフになっていきます。
光に興味があって、車も好きで、照明の仕事も楽しかったのですが、続けていくうちに自分で撮りたくなったんです。その頃から「自分が好きな写真とは何か」を真剣に考え始めました。それと同時にファッションにも興味があり、ファッション写真を調べ始めたのがきっかけでした。
当時から「ファッション・フォトグラファーになるためにどうすればいいのか」情報収集をしていました。そのタイミングで、イイノスタジオがオープンして、著名なフォトグラファーがそこで撮影していることを知り、面接を受けにいきました。
フォトムを退社してからはトラックの運転手をしていたんです(笑)。助手席には「VOGUE」を何冊も積んでいて、ランチの時間にはシートに横になって「VOUGE」を読んでいる男でした。それを面接で話したら「面白いやつだな」と思って頂けたようで(笑)、アシスタントとして入社できたんです。

works:HUDSON’S BAY BEAUTY CAMPAIGN
ファッション雑誌をとにかく集めて、古いものは1940年代のものから最新までチェックしていました。その中で「レジェンダリーな人たちはどこで撮影しているのか」を調べていると、フランスでもイギリスの雑誌でもNYで撮っていたんです。ピーター・リンドバーグはフランス人なのになぜNYで撮っているのとか? だったら自分も「そういう一流の人が活躍している場所に行ってみたい!」と思い、渡米しました。
行動が早いですね!
特にNYに思い入れがあったわけではなく(笑)、世界のトップの撮影がNYで行われていた事が大きかったですね。
イイノには約4年半お世話になりましたが、「海外に行きたい」というのは入社当初から話をしていました。その間は、アシスタントをしながらお金を貯めるという計画。でもそれがよかったというか。
どういう意味ですか?
NYには日本人もたくさんいて、ミュージシャンやフォトグラファーを目指す人も多いです。現地で出会うこともあって、実際その人たちはまだ食べられないのでレストランや居酒屋で働いているんですね。その合間にテストシュートする、みたいな。
でもそうなると僕の場合は、体力的にも精神的にもすり減りそうだったので、生活費を貯めて渡米したことで「写真の仕事を得ること」に時間を集中できました。
具体的には、どのように動かれたのですか?
当時はまだ雑誌に勢いがあったので、とにかく雑誌で撮影をして名前を売って、ギャラの出る仕事をする。お金の出る仕事を続けていって、エージェンシーと契約してさらに大きな仕事をとっていく、という流れをぼんやりと描いていました。
ただ僕の場合は知り合いもツテもなかったですし、英語も話せない。どうすればいいかわからない中で、「head shot」って言って、ミュージシャンや俳優になりたい人の写真を撮ります、という仕事があるんですね。その「ヘッドショットを撮ります!」という電話番号付きのフライヤーを作って、100枚くらいNYのサブウェイを上ったところとかに貼りまくった。とりあえず何か動いていないと不安だし、気持ちが上がっていかないので(苦笑)。
結局、それでは仕事がこなかったのですが、一人だけ「メイクアップアーティストになりたい」という人と知り合ったんです。
その人と「テストシュートをしよう」という話になり、モデルを借りるために、モデルエージェンシーにも連絡を取りました。まだ15点ほどのポートフィリオしかなかったのですが、NYのエージェンシーほぼ全てに連絡をしたところ、2社だけ会ってもらえたんです!
そのうちの一つが、SUPREME MODELSという会社でした。なぜか僕の写真を気に入ってくれて、「いつ撮れる?」って聞かれたので「今日でも明日でも!」ということで、翌日に一人モデルを貸してもらえたんです。
その時の写真がすごく気に入ってもらえて、「じゃ、この子も撮れる?」という流れで、その事務所がどんどんモデルを貸してくれるようになったんです。

SAKS FIFTH AVENUE CAMPAIGN
モデル事務所での出合いが、よい流れになっていったのですね。
そうなんです。月〜金は午前中に語学学校に通い、土日は撮影。平日でもモデルが借りられれば撮影をするということをしばらく続けていました。
そうするとモデル事務所にも「セイジはけっこういいな」となってきて、SUPREMEの親会社にWOMENという会社があるのですが(SUPREMEよりも上のランクのモデル事務所)、その事務所から連絡が入り、「この娘撮れる?」というように声をかけて頂くようになったんです。
それで関係がどんどん出来てきて、有名誌のカバーに出ているモデルが「コンポジを変えたいから撮ってくれないか?」という事で、テストショートには出てこないような上のクラスのモデルも撮れるようになってきました。
モデルのレベルがどんどん上がっていったのですね。
有名なモデル、いいモデルを撮ると、自分のポートフォリオのレベルもどんどん良くなっていくんですよね(笑)。そこからは雑誌社に手当たり次第に連絡をして、アポを取っていきました。
その中でポーランドの雑誌社から「作品が気になっているので、新作ができたら送ってほしい」という反応がありました。その間モデルエージンシーからスタイリストを紹介してもらって、ヘアドレッサーは知り合いのメイクから紹介してもらい、ようやく「撮影チーム」が出来たんです。
そのチームで、少しお金もかけて作品撮りをしたんです。それをポーランドの雑誌社に送ったら「いいね!」ということで、そのまま掲載してもらえました。それがきっかけで、最終的にはその雑誌のCOVER SHOOTERにまでなりました。

works:BLOOMINGDALE’S CAMPAIGHN
どんどん階段を上がっていますね!
そうすると他の撮影でもいいモデルが撮れるようになります。「様々な編集部が僕のポートフォリオを見てくれるようになる」というよい循環になってきました。
もともと渡米の理由は「トップフォトグラファーの仕事が見たい」ということだったので、有名なレップには「アシスタントを募集していたら声をかけてください」とずっとアプローチはしていたのですが、結局は叶わないまま、自分がフォトグラファーになっていました(笑)。
いまもNYのRay Brownというレップに所属されていますよね。
はじめ3名ほどの小規模なエージェンシーに入っていましたが、そこがあまりよくなくて、その後フリーランスで活動していました。その時に、今のRay Brownの方から僕の写真を見ていて、声をかけてもらったんです。
事務所の力量もわからないので、僕に来ている仕事でテスト的にマネージメントをお願いしたら、レートも上げてくれるし、また自分が知らなかったusage(写真の使用方法等の条件)の問題もクリアにしてくれたり、とても信頼できたので契約しました。
僕にはメインのエージェントが一人ついていて、その他に2名の担当がいます。皆それぞれにカテゴライズされています。僕のメイン担当はファッション中心で、その他広告系、ライフスタイル系と分かれています。それぞれに強いコネクションを持っていますが、広告の仕事でファッションテイストが欲しいという時は、僕に声をかけてくれることもあります。
あとフォトグラファー1名ごとにプロデューサーが2名つきます。僕のメインプロデューサーは全体を見て、サブは具体的なことを全て行なってくれます。例えばロケアシを探すとか、機材出しや車の手配とか、撮影まわりのことは全部やってくれます。エージェントはお金の管理とか新しい仕事をとり、別のスタッフがBookやWebサイトの写真を管理しています。

works:TARGET CAMPAIGN
一つのチームとして合理的に動いてくれるのですね。
フォトグラファーは撮ることに集中できるスタイルになっています。僕のエージェンシーも30年ほど歴史があるのですが、NYでは長い方で昔ながらのちゃんとしたシステムで動いてくれていて、ありがたいですね。
ヘアメイクやスタイリストはどうやって見つけられるのですか。
これは日々の撮影をやっていく上で一緒にテストシュートをしたり、紹介されたりと、お互いの相性をみながら、徐々に広がっていく感じです。
むこうでは「セイジ、ファッションフォトの仕事がしたいならパーティに行きなさい」「パーティで人脈を広げなさい」みたいなことを言う人もいます。たぶん他の日本人も経験あるんじゃないかな。でも僕は「パーティってタイプじゃないんで嫌だな。でもやらないと仕事がもらえないのかな?と思っていたんです。
パーティで人脈を広げなさいとは、聞いたことがあります。
そこは結局やらなかったし、最終的にそういう方向じゃなくても仕事をすることはできるんですよね。「日本人でファッションフォトは難しい」「パーティに出かけて社交場で仕事をもらうコネクションを作らないといけない」とか、そういう方法だけではないなと思いましたね。
英語はどのように習得されたのですか。
英会話の問題ですが、最初は話せない中で仕事をしながら学んでいましたが、英語は楽しみながらの方が身に付くと思って、「お笑いライブ」に通いはじめました。
向こうでいう「Stand-up comedy」ですね。ウエストビレッジに日本の「二丁目劇場」のような場所があって、そこでは若手のコメディアンが毎日新しいネタを披露していて、でもたまに超大御所みたいな人が登場するんです。日本で言うと松ちゃんみたいな人。実際に有名な人も見ました。ただ最初は話している内容がわからないので、何が面白いのか理解できない。アメリカのコメディってベタっぽいことを言っているなとか…。
でも通っているうちに喋るニュアンスがわかってくると、「こういう事を言っているんだ」というのがなんとなくみえてくる。向こうのお笑いって、言ってはいけないことを言うから面白いというか…。タブー直前のギリギリのラインでうろうろするところが、「よく言ってくれた!」的な部分があるんですね。
それがわかれば、人間関係においても「ここまでは言っていい」とか、そういうラインが見えてくる。ここから先は失礼にあたるとか、そのラインをお笑いで学びました。

works:FLOW WATER CAMPAIGHN
ジョークとアウト(NG)の境目、ということですね。
そしたら仕事が上手くいきだしました。撮影現場で、英語でジョークを言えるようになった。そうすることで「ようやく撮影チームの仲間に入れてもらえた」という感じです。
今までは「真面目で寡黙な日本人」だったのが、「Seijiがギャグを言い出したぞ」と(笑)。「面白いな、キミ!」みたいな空気になってきたんです。それで仕事がより回りましたね。
アメリカって話しながらずっと真面目な話をするのではなくて、例えばオバマ元大統領だって、途中で笑いを入れるじゃないですか。それで皆を笑わせてから、伝えたいことをちゃんと準備している。アメリカではユーモアとかお笑いのセンスって実はビジネスにとっても重要で、寡黙で実直なだけでは辿りつけない面があると感じましたね。
その状況になるまで、何年くらい経っていたのですか。
そうですね、自分の中では、8年くらいかかりましたね。それまでは英語もわかるし喋れましたが、ほんとの意味で溶け込めるようになるにはそのくらいかかりましたね。
日本人が海外で活躍しているケースはブツ撮り、スチルライフが多い印象でした。ファッションや人物撮影はチームで動かないと成り立たないですよね。
そうなんです。海外でもヘアメイクの方は活躍されている方が多いですが、ファッションフォトで違うのは、ヘアメイクの方は指示を聞いてアレンジしていくのですが、フォトグラファーは撮る前からクライアントやADと「どう撮るのか」を話して、相手を納得させないといけない。
撮影前に「Seijiに依頼したら上手くいきそうだ」という説得力を持っていないといけません。そうすると語学力もかなり必要で、ハードルが上がる部分の一つの要因かもしれませんね。
向こうから日本のフォトグラファーを見ていると、皆さん上手だし、スキルもあって、ライティングもキレイ。現場で撮る立場になれば、日本であれ、海外であれクオリティーの高い写真が撮れると思います。
皆さん技術は持っているけれど、「そこに立てるか立てないか」の違いなんです。そのために「どうやってそこに立つのか」というのが、見えていない部分であり、努力の半分は写真を撮ること以外にあると思うんです。
僕が行った2006年頃は、ファッションフォトの世界はまだまだ白人社会だったので、普通の格好で打ち合わせに行くと、「デリバリー? 棚があるからそこに置いていって」とか言われるんです。「ランチを持ってきているアジア人のおっさん」扱いなんですよ(苦笑)。
逆に言うと、服装をビシッと決めていくと「誰とミーティングですか?」って訊かれる。非常にわかりやすい社会なんです。
わかりやすい(笑)。
それを逆手にとれば、洋服をスタイリッシュにしていったり、面白いスタイリングにすれば、横並びの世界から一つ飛び出せる。初期の段階ではその表面的なことでジャッジされるNYのよくない風習を利用しました。そうしたら「君はちょっと他のアジア人とは違うね」と、見られ方が変わってくるんです。
今はだいぶ変わりましたけどね。

works:MACK WELDON CAMPAIGN
この15年で変化したのですね。
NYから日本に越してくる直前に「Teen VOGUE」のカバーのオファーがきました。スケジュール的に僕は参加できなかったのですが、モデルもスタッフも全員アジア人メンバーで探していました。いまはVOGUEのカバーでさえ、アジア人だけで創れる時代になってきているんですよね。
今までとは違ったことになってきているので、そういう意味では撮影だけでなく、ファッション業界自体も変わってきている気がします。
痩せたモデルだけとか、白人モデルだけの起用は減っていますよね。
ここ5年くらいは、5〜6人モデルがオーディションにきたら全員人種が違うとか、ボディサイズもプラスサイズモデルも含めるとか、完全に変わりましたね。
いまはNYもファッション業界は、アジア人もだいぶ入りやすくなってきたと思います。というか、白人の人たちが今まで閉ざしていたのが、黒人やアジア人にもようやく回ってきた感じです。チャンスはすごくあると思います。

works:DORE BEAUTY CAMPAIGHN
NYと日本での仕事の仕方、考え方の違いは何でしょうか。
一番違うのは、仕事の依頼がきた段階で、お金の面がめちゃくちゃクリアです。撮影はカタログが何ページでレートはいくらで、Webなら掲載期間、再使用の条件等、それが全てクリアな状態で来て、僕のエージェントが見積りを作ります。照明機材がいくら位で、アシスタントや雑費でこの位かかりますと、投げ返します。それでお互いにOKであれば「やりましょう」となります。
曖昧な部分がないので、機材や美術経費がかかったのでギャラを引かれるとか、ギャラを撮影後まで聞かされないとか、そういう揉める要素は一切ないですね。
制作が声をかけてスタッフィングしながら人を集めていく感じですね。
むこうはシステム上、「いくらで」というのを先に言わないといけないので、プロデューサーが後で調整してから、とはならないですね。
制作費を抑えれば、それなりのフォトグラファーしか候補に上がってこないし、制作費をがんばれば良い人を持ってこられるじゃないですか。そうすると、今度はプロデューサーの力量になってきます。例えば「このプロデューサーにこれだけ渡しても上がってくる候補が弱いから、次はプロデューサーを変えよう」とか。
「先に条件を提示する」というシステムのおかげで、プロデューサーの力量も試されるようになっている気がします。大きな撮影で身を削ってやったとしても、それがポートフォリオに入れられて、次の大きな仕事に繋がる可能性がありますからね。
NYの雑誌の仕事はいかがですか。
コンデナストのような大手出版はまだギャラが出ますが、インディペンデント誌は出なくて、フォトグラファーが制作費を出します。それはどうなのかなと思います(笑)。
問題なのは日本よりも紙離れ、雑誌離れが進んでいること。NYのマガジンスタンドがなくなってきています。「雑誌をどこで買うんだ状態」になってきて、手に入らない。雑誌の仕事をする意味が変わってきています。
昔だと「i-D」で撮った、「VOUGE」をやった。「おおっ、すごいね」と言われていたものが、いまは雑誌がWeb媒体も持っているので、インスタと変わらなくなってきている。そうなると紙媒体に載ることの“箔”が落ちてきます。
これは「海外で仕事をどうやってとっていくのか」という話に繋がっていくのですが「昔は雑誌に載って名前を売って」という流れがありましたが、いまは僕の経験上では、雑誌に名前が出ても関係ないというか…、新規の仕事はこないです。
むしろ広告の仕事をして、それを見たクリエイターが別の広告を依頼してくれます。広告が雑誌代わりになっているんです。
雑誌に載らないと、洋服もモデルも借りられなかったりするので、作品を作る上で雑誌は必要だと思います。ただ大きな雑誌になるほど、洋服のブランドの縛りがあったり、モデルが指名だったり、縛り(制約)が毎年きつくなっていました。雑誌を撮影しているのに、広告並みの縛りがあって、予算はないみたいな(笑)。

works:OUTDOOR VOICES CAMPAIGHN

works:OUTDOOR VOICES CAMPAIGHN
実例で言うと、「Outdoor Voices」というNYの小さなアスリートブランドを僕が撮っていたのですが、そのブランドは早くにダイバーシティを取り入れていました。みるみる売り上げが伸びて、最終的には大きなスポーツブランドさえスタイルを真似するような、アメリカ全土で人気になっていました。「そこのトートバッグを持っていたらオシャレ」「わかってる」みたいな(笑)。
僕はその撮影をしていたので、それを知った他の企業から声がかかってくるんです。トリーバーチのようなハイブランドからもスポーツラインの撮影依頼がきました。
帰国のきっかけはあったのですか?
やはりコロナの影響が大きいです。2020年にコロナ禍が始まり、NYはひどい状態でした。一日中サイレンが鳴り止まず、セントラルパークにテントが張られ、罹患した人々が運び込まれ、戦場のようでした。
そのような場所で子供を育てるのは厳しく感じ、妻と子供だけ日本に疎開をさせて、この約2年半、僕は一人で住んでいました。仕事は順調でしたが、家族の「このまま日本で暮らしたい」という思いもあり、帰国を決めました。
NYでの仕事は絶好調で、新しいクライアントも決まっていましたが、「キャリアか家族か」をずっと考え続けていた2年半でもありました。
自分の中では、家族が近くにいないとキャリアも成り立たないと考え、今まで自分が決めてきた人生ではありますが、“自分の考えではないところから始まる人生の方向性”というのも、あっていいのかなと。
それはとても大切な決断ですね。
大袈裟かもしれませんが、「何を持って人生というか」をコロナ禍で考えました。それが落ち着いて、このまま単身赴任で仕事だけしていて、最後自分に何が残るのだろうかと…。その時に、家族のことをすごく考えましたね。
ただNYのレップとは引き続き契約しているので、日本ベースにはしましたが、行ったり来たりするだろうと思います。
撮影機材の豊富さ
日本とNYの違いですが、仕事の流れとは別に「機材」周辺も随分違いますね。
例えばですが「テザーコード」ってあるじゃないですか。このコードの種類って、日本はかなり少ないです。
僕がいま使っているのは「ナインボルト」(https://nine-volt.com/)というブランドで、もともとデジタルテクニシャンがウエストコーストに作った会社です。そこは5mとか、10mのコードを作っていて、延長コードが要らないんです。その方がデータの伝達がいいですよね。
NYでは「エリア フィフィティワン」(https://www.area51tetherco.com/)という別のテックが作った会社があって、コードだけ3万円とかしますが、転送速度が速くて安定しています。
小さなところで言うと、そういう会社があって、HDDも大手にはない仕様の製品があったり。それと比べると、日本は機材周りの選択肢が少ない気がしますね。

藤森さんが使われているナインボルトのテザーケーブル。
いまは、メインカメラは何を使われていますか?
ソニーのα1です。それと「イノベーティブカート+PCでテザー撮影」というのが標準ですが、日本だと台車とかもまだまだ多いですね。
向こうでは「撮影自体がプレゼンテーション」という意識がすごく強いので、機材もいいものを使います。
スチルでもビデオでメイキングをおさえるとか。スタジオにもクライアント用を含め、モニターが8台くらいあります。

テザー確認用、スタッフ用、クライアント用、編集用他、一つのスタジオでモニターが多数使われている。
モニターが8台って多いですね!
スタジオの大きさは致し方ないとしても、機材の規模は少し違いますね。スタジオのアップデートの仕方もあると思うのですが、いまだにメインストロボでPro-7使っているところとか。
機材やWebサイトにも投資をして、リ・ブランディングをして常に変えていかないと、スタジオもユーザーも一緒に老朽化していきますからね。

これは僕のNYでのロケセットです(上写真)。
モニターは27インチ+PCで、iPadもサードモニターとして画像を飛ばしています。 大型バッテリーを下に積んでいるので、ロケでも大型のモニターが使えます。
フードもつけていますが、日差しが眩しい時は4×4判の黒布を上から垂らして写り込みを完全に消します。
ロケとかで天気が良いとモニターがよく見えないし、暑い時に小さなモニターに顔を寄せ合うとか、やりたくないじゃないですか(笑)。クライアントにはゆったり見てほしいですし、逆に自分のPCでは、軽く色調整や編集作業をしています。
この形を日本でも行いたいのですが、アシスタントや機材費が厳しかったりしますよね。アシスタントを雇えなくて、そうするとアシスタント希望者が減ってくるという悪循環にもなりやすい。本当は「撮影現場でのプレゼンテーション」も大事な仕事なんですけどね。

晴天でモニターが見えづらい時は、黒布で写り込みを防ぐ。
僕の周りでは機材マニアも多くて、アシスタントの方がむしろ最新機材や情報に詳しい(笑)。今どんな機材が流行っているのか、どんな写真に人気があるのかとか、教えてもらっているくらい。お互いに情報交換ができるのもいいところです。
このインタビューの前日に撮影をしてきたのですが、昨日はLEDを補助光として使いました。昔ならHMIを借りるとか、大袈裟になりがちでしたが、「いまはLEDでいいじゃん」と。予算の調整もしやすいですし、どんどん良い機材が出てきています。デジタルカメラが優秀なので、ISOを上げて撮れるのもかなり楽になりました。
3年位前ですが、オンラインでチケットを販売する会社がNYにあって、そのCMと僕が担当するスチルの撮影がありまして「セイジ、今回はLEDでムービーを撮るけれど、スチルもそのままLEDで撮れる?」って聞かれました。
ライトテストの日にライトテクニシャンが来て、LEDで照明を組んでいくんですけど、その時の企画が「12シチュエーション、全て色を変える」というものでした。ストロボでやるならフィルターを変えたり時間がかかるから、そのままLEDでテスト撮影したんです。
そしたらライトテクニシャンがiPadで操作しながら、「はい、次はセット2ね。ブィ〜ン」「次セット3、ブイ〜ン」みたいな(笑)。「もう照明はこういう時代か!」ってびっくりしましたね。
予めプログラムしておいて、手元で照明をコントロールできるのはものすごく速いし、なんかカッコいいですね。
そうなんです。12シーンのセット準備があっという間でした。もうスピード感がすごくて、そこから僕もLEDを使うようになりましたね。
機材やソフトが進歩して便利になって、テクニックがお金で買える時代になってきました。そうすると最後は“コミュニケーション能力”や“人間力”みたいな部分に戻っていく気がしますね。
今年の予定や、いま考えていらっしゃることはありますか。
そうですね。2022年の秋に帰国して、家のことや体制など準備してきたので、今年は本格的に活動していこうと思っています。
色々挑戦していきたいのですが、その一つがムービーです。NYでもキャメラは回してはいたのですが映像にも力を入れていきたいですね。個人でREDを所有しているので。
先日「VOUGE JAPAN」でセレブリティを撮りました。向こうでもセレブリティを撮っていたのですが、改めて「人間と人間のかけひき」が面白いなと思いましたね。

VOGUE JAPAN 2023/2月号
むこうだとスタッフはみな外国人同士で、英語が多少もたつこうが勢いで何とかなっていましたが(笑)、日本人だともう少し会話を重ねて、開かせていく中で「切り取っていく過程」がプレッシャーも感じながら、面白いなと思いました。そういうセッションのようなポートレート撮影を増やしていきたいですね。
あとは、昔から父親の写真を撮っているのですが、帰国したことで距離的にも写真が撮りやすくなったので「オヤジ」を撮りを続けていきます!

Photographer / Director
Seiji Fujimori
2006年渡米。ニューヨーク在住。V magazine, V man, GLAMOUR(Germany), MarieClaire(Spain), Rolling Stone(Russia), Tank(UK), GRAZIA(Mexico), Black Book(US), BLACK(New Zealand), ARISE(UK), VISION(China), Ponytail(UK), A4(Poland), FASHION(Canada) などのマガジンのほか Diane von Furstenberg, PRABAL GURUNG, Rebecca Minkoff, Outdoor Voices, Jones New York, Magaschoni, C Wonder, Amazon Fashion, などの広告をクライアントに持つ。
2011年New YorkベースのプリントマガジンThe GROUNDを立ち上げる。2018年6月よりNYのエージェンシーRay Brown Representsに所属。2022年10月より東京をベースとして活動を始める。
https://www.seijifujimori.com/
https://www.instagram.com/seijifujimori/