藤村 豪 個展「誰かの主題歌を歌うときに」が、KANA KAWANISHI GALLERYで開催されている。
紹介文
藤村は「他者の経験を私たちはどのように理解するのか」、そしてその分有についてを確かに実感し得るものとして、主に写真や映像で提示する作品群を一貫して制作し続けてきました。
例えば、映像作品《同じ質問を繰り返す/同じことを繰り返し思い出す(どうして離婚したの?)》(2014年より継続)では、同じ人物に「離婚した理由を教えてください」と6年間に渡り、同じ質問を投げかけ続け、その時々で本人から紡ぎだされる言葉を映し出しています。質問をする度にその理由とそれを表す言葉が変化をする様子は、当事者と出来事の結びつきの流動性、その度に変更を求められる聞き手の理解といったものを、時の移ろいとともに示します。
本展『誰かの主題歌を歌うときに』は藤村が日常的に向かい合う出来事をモチーフに、写真、映像、そしてテキストを中心としたインスタレーションで構成されます。
届いた時にあらかた文字が消えていたポストカード、作家自身のそれとは異なる姿をした息子の左手、身近な自然現象についての探索、友人の離婚をめぐる対話。その起点をより私的なものとしながら、様々な出来事の理解のために試みた「手探りで無遠慮」な、そして「不自然な再演」についての記録の数々が紹介されることになります。
また本展では、自動翻訳を介した深川雅文(キュレーター/クリティック)との往復書簡を、パフォーマンス作品として展覧会の会期中に完成させます。
私たちが本来的に抱える他者理解への望み、そしてそれに伴う不可能性について。「誰かの主題歌を調子はずれに歌」いながら奔走する藤村独特のアプローチを是非ご高覧ください。
ステートメント
わかるはずのないことをどうしてもわかりたいと思うこと。
息子が自分の手をお菓子に見立て、僕へと差し出す。
差し出された右手と左手を僕は順番に「パクッ」と食べる振りをする。
左手を食べようとすると「ないからやめて」と言われた。
一つの出来事は息子の左手をめぐり、二つの経験の間に位置することになる。
彼は彼自身の左手には食べられるような手指がないと思っているが、
僕から見ればそれは確かにそこにあると思える。
どうしたら自分以外の人の経験とその理解に辿り着くことが出来るのだろうか。
ポストから取り出した手紙の文字は雨に濡れて消えかかっている。
同じ質問を繰り返しても友人の言葉はその都度違う。
降らせた雪は降り注ぐ雪とは同じにはならないらしい。
いったいどうすればいい?
誰かの主題歌を、調子はずれに歌うこと。
一致をみない歌が絶えず流れ続けること。
私たちの理解はいつだって手探りで不遠慮、
そして不自然な再演を通して行われている。
藤村 豪
藤村 豪
1980年生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修、東京綜合写真専門学校卒業。主なプロジェクトに『同じ話を異なる本で読む(ウルフのやり方で)』(2015年、BankART Studio NYK、神奈川)など。「藤村豪&内野清香」としての個展に『ふたりの喧嘩は三人目の愉しみ』(2014年、川崎市市民ミュージアム 映像ホール、神奈川)、『ふたたび考えるためのレッスン(プロジェクトと出来事をかたちづくる)』(2013年、mujikobo、神奈川)、『UNDER35 GALLERY 藤村豪 & 内野清香 展』(2011年、BankART Life 3 新・港村、神奈川)など。
- ギャラリー名
KANA KAWANISHI GALLERY
- 住所
東京都江東区白河4-7-6
- 開館時間
13:00〜19:00(日・月・祝 休廊)
- アクセス
東京メトロ 半蔵門線 清澄白河駅 徒歩10分
- URL