写真展「パリの記憶 高田美 / Yoshi Takata Mémoires de Paris」が、Art Gallery M84で開催される。
開催概要
明治時代の豪商、高田商会の孫娘として生まれ、神田駿河台で育った令嬢が、没落後、祖父から享け継いだ血の因縁のフランスに単身渡り、写真家・木村伊兵衛の教えを守って写真に取組み、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、ブーバなどの知遇を得ながら、数多くのファッション写真を、日本をはじめ数々の外国誌に提供。時のデザイナー、ピエール・カルダンに認められて右腕までに登りつめ、世界各国にカルダンと共にパリ・モードを披瀝して廻った日本のキャリア・ウーマンの先駆・高田美の写真作品展です。
木村伊兵衛の紹介で、カルティエ・ブレッソン、ロベール・ドアノーのような一流写真家と織り合うことができ、彼らは高田美の眼を開いてくれた。「技術が重要なのではない。心の目を持つことだ。生まれながらに持っている構成力、感覚こそが需要なのだ。」写真を習う為に学校へ行く事も進めず、カルティエ・ブレッソンは、ただこう言った。「生涯にたった一枚でいいから、忘れないものを撮る事だ。」こうした一流の写真家に出会って、その後をくっついて行きながら写真家として成長していった。
当時、パリを訪れた有名人をはじめ、数多くの日本人がどれだけお世話になったことかが一部の写真でも読み取れるが、パリの芸術家やパリの巷を撮った数々の写真への眼差しが素晴らしく良い。パリだけでなく世界的に活躍した知る人ぞ知る彼女の傑作写真作品展である。作品は、約30点x2 (作品は途中で一部入れ替え予定)
高田美/Yoshi Takata
1916年 東京生まれ。
1947年 フランス通信社(AFP)東京支局の通訳兼助手として入社、
ジャーナリストの世界に入る。
1954年 渡仏。写真家・木村伊兵衛がパリを訪れた際に、通訳を担当。
木村伊兵衛から写真を撮ることを勧められてカメラを手にする。
日本の新聞、雑誌に記事や写真を送るかたわら、
アンリ・カルティエ・ブレッソン、ブラッサイ、ロベール・ドアノー、
ブーバ、デイヴィット・シーモア等と親交を結ぶ。
彼らを日本に初めて紹介し、写真集出版(平凡社)の橋渡しとなる。
1955年 当時、新進気鋭のデザイナー、ピエール・カルダンのアトリエ撮影と
取材に赴いた際、カルダンより評価され、その後の協力へとつながる。
以降、カルダン作品の大部分を撮影する。
1957年 ピエール・カルダンのオートクチュール立体裁断初公開のプロデュース
を行い、初来日に同行、熱狂的歓迎ぶりをカメラに収める。
1965年 初来日の写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンの日本ルポルタージュを
プロデュースし、同行する。また写真集出版(朝日新聞社)に尽力。
1966年 文化出版局パリ支局の顧問に就き、日仏の文化交流につとめる。
1985年 フランス政府より芸術文化勲章を叙勲。
1989年 パリ市よりパリ名誉銀賞を叙勲。
1992年 パリ国立図書館に作品がコレクションされる。
2009年 パリにて逝去。

フジTVスタジオでピエール・カルダン(46歳)

わんぱく騎士

愛機ライカを藤田嗣治に説明する木村伊兵衛、後ろに横山泰三

雪のチュイルリー公園

ピエール・カルダン 1966年秋冬オート・クチュール
- ギャラリー名
Art Gallery M84
- 住所
東京都中央区銀座4-11-3 ウインド銀座ビル5階
- 開館時間
10:30~18:30(最終日17:00まで)日曜日休館 / 入場料 800円
- アクセス
東京メトロ 日比谷線 東銀座駅 徒歩1分
- URL