株式会社アマナが、2024年1月末で上場を廃止する。
アマナは広告写真、コンテンツ制作、また雑誌「IMA」などのアート分野でも有名な会社なので、この業界で知らない方はいないのではないだろうか。
上場を廃止するだけで、倒産や廃業ではないので、勘違いしないでください。
1月からは創業者である進藤博信さん以下、今までの役員は全員退任し、新しく金子剛章氏が代表取締役社長に就任。取締役に瀬川貴文氏、松島陽介氏、社外取締役に平田静子氏というスリムな体制でのリスタートとなっている。
「アマナ」という会社は、特に広告写真業界ではものすごく影響力のある企業であり、仕事上で、関わりのある方も多いのではないだろうか。
私もその一人であり、アマナとはかれこれ四半世紀のお付き合いになる。これを機会に一度、自分なりに振り返ってみたい(アマナの歴史はすごく長いため、あくまでも私が印象に残っている事柄が中心となります)。
スタートは商品撮影のプロフェッショナル集団
最近の若手のクリエイターや制作会社から見れば、アマナは
・広告制作 x 撮影・CG
・ストックフォト
・IMA & PHOTO MIYOTA
・アート & ラグジュアリー
あたりがワードとして浮かぶのではないだろうか。
しかしどんな会社にもスタートがある。アマナは長く代表を務められた進藤さんもフォトグラファー出身であり、今はほとんど離れてしまっているが宮原康弘さんや和田恵さん、富田眞光さんや少し後で入社された黒川隆広さんほか、フォトグラファーが所属するアーバンパブリシティという、撮影を中心とするプロダクションからスタートしている。
私が20代でまだ出版社で広告営業をしていた頃、当時はもちろんフィルムしかない時代。商品撮影は主に中判カメラや、アオリが効く4X5カメラで行われていた。
アーバンパブリシティに伺った際、当時から8×10(エイトバイテン)の大判カメラで撮影していて、その「バイテンのポジ」をライトボックスで何十点も見せていただいた時は、本当に驚いた。
「レベルが違う。。」
フィルム時代は、基本的に一発撮りの世界。当時も印刷会社での修正(レスポンス)も一部あったが、様々な撮影技術を駆使して、美しい商品撮影の世界を構築されていて、「これは需要がある」と思った。
アーバンパブリシティはその通り、どんどん撮影のプロダクションとして急成長、急拡大をしていった。
Macintoshによるパーソナルデザインと写植の終焉
ストックフォト全盛期へ
日本語フォントが実装されたアップルのOS「漢字Talk」。
ああっ、懐かしい!
そう思った方は、かなりのキャリアですね(笑)。
それまでは版下に写植を切り貼りして、よく修正していましたが、Macやソフトメーカーがデザイン業界、出版業界に革命を起こし、個々人が自由にデザインやDTPができる環境が整い、それと同時に写植のみを取り扱う会社がどんどん潰れていった。これは、バイク便でCDやDVDを送らなくて済むようになったネット社会の今と似た現象です。
そして急激に伸びていったのが、いわゆる「ストックフォト」業界だった。ポジフィルムの貸し出し業です。
アーバンパブリシティは1987年からストックフォト事業を展開し、「Photonica」ブランドで数多くの写真をストックフォトとして取り扱っていた。モニターもない時代、印刷された分厚いカタログを何冊もシリーズとして揃えていたストックフォトの会社はほとんどなく、その意味では、ストックフォトの規模としても最初から他社とは一線を画していた。
フィルムをスキャナーで読み込んで、Macに配置したり、そこまでしないアタリとして使う場合は、トレスコで紙にトレースしていた時代(トレスコがわからない方はスルーしてくださいw)。
新雑誌がどんどん創刊され、広告業界も元気。印刷物(紙媒体)の制作が多くて、ストックフォトの需要も右肩上がり。
世界文化フォトやカメラ東京サービスほか、大手から中堅、また個人のフォトグラファーが自分の写真を貸し出したり、美術や科学、動物など専門の会社まで、1000社以上はあったと思う。
Macやアドビなどのソフトにより、デザインや出版がより身近な存在になり、またフィルムをアタリとして使える低価格スキャナから、印刷に使えるクオリティで取り込める高額製品(フラットベット〜ドラム)まで、発売されたことにより、ストックフォト業界はかなり賑わっていた。
それに伴い、ライブラリーに写真を預ける立場のフォトグラファーにも恩恵があり、ストックフォトの売り上げだけで年間数千万円、中には億を稼ぐ人もいた。
活況の中、1991年に商号をアーバンパブリシティ(株)から(株)イマに変更していたが、その理由はよくわかなかった(苦笑)。
1997年に大手ストックフォトカンパニーの一つ、(株)カメラ東京サービスを吸収合併
ニコンのデジタルカメラ、D1の発売が1999年。この後、デジタルカメラの進化、台頭によって、「最初からデジタルデータ」という便利なフローに徐々に変化しはじめ、並行して、フィルムの貸し出しは衰退していく。
銀行や証券会社ではないが、ストックフォト業界もお互いに手を結んでいく生存戦略を考えた上での合併は時代の流れだったのかもしれない。
そこまでできない、またデジタルへの変革についていけなかった中小のストックフォトの会社の多くが倒産や廃業に追い込まれていった。
雑誌メディア「アイマガジン i MAGAZINE」の創刊
アマナは「IMA」というアート系の書籍を発行しているが、紙媒体を作るのはこれが初めてではない。
1996年に「アイマガジン」という、A4変形(当時としては大判)の月刊誌を創刊した。コンセプトは「新しいビジュアル表現とコンテンツを追求する情報誌」。
当時の特集タイトルを見ると、
1997/8
プロフェッショナルデジタルカメラ初体験レポート
1997/9
大型出力機はビジネスアイデアの宝庫!
1997/12
(新連載)想像の根源を探る タナカノリユキ
(特集)ビジネスとしての画像処理を考える
1998/2
色を合わせる/これで色にまつわるトラブルは解決。カラーマネジメントの実践テクニックを身につける
1998/5
若手スーパーADが語る「広告制作」の今
青木克憲 x 秋山具義 x 中村至男
1998/6
Photoshop 5.0の新機能
等々。
写真家やデザイナーの紹介もあったが、フィルムとデジタル、DTPとデザイン、印刷などでの色合わせなど、まだ様々な技術が過渡期にあったためか、テクニック、ノウハウ的な記事も多かった。
何号まで続いたのかは調べ切れていないが、思えば、進藤さんは当時から「メディアを持ちたい」、という気持ちが強かったのではないだろうか。もちろんご本人がフォトグラファー出身であり、写真撮影やストックフォトというフォトビジネスをしている会社なので、自然の流れかもしれない。
今のようにネットもスマホもない、4マスメディアが情報源の当時は、ワークフローのデジタル化やMacの台頭、様々なソフトも出て、過渡期で技術的に不安定な時代だからこその“ベターなノウハウ”も求められていた。
一方、グラフィック広告や雑誌が勢いを持ち、時代を牽引していた。そこで広告代理店系のアートディレクターが活躍。フォトグラファーも藤井保、上田義彦、M HASUI(蓮井幹生)、瀧本幹也氏らを始め、広告メディアでの活躍が目立っていた。
これは余談だが、初期の「WIRED日本語版」(1994〜1998年)を愛読していて、誌面の内容もさることながら、レイヤードや特色を生かした、めちゃくち近未来的な誌面デザインに毎号ワクワクしていた。
企業の買収・合併・売却
アマナという会社を語る上で、避けて通れないのがM&Aの歴史だろう。
(吸収合併や譲渡は数多くあるので、詳細はアマナのサイト等で確認してください)
私が個人的に気になったポイントを挙げると
・(株)カメラ東京サービスとの合併
・(株)ニーズプラス設立
・(株)アマナイメージズに集約(子会社化)
・TV-CM事業領域拡大のため、(株)ハイスクールの株式取得 (子会社化)
・(株)アマナサルト設立
その他、サイバーエージェントとの合弁会社設立、アマナビ、アマナデザイン、イエローコーナージャパン、アマナフォトグラフィ、フラットラボ…、買収、合併、統廃合は、まだまだあります。
カメラ東京サービスとの合併については、ストックフォト業界の再編を含めて、時代の流れかなと思いつつ、その流れでアマナイメージズに移行するのは必然な気もしている。その流れからか、1997年11月に、商号を(株)アマナに変更している。
銀塩プリントを中心とした写真業界では、プロフェッショナル・プリンターである「ザ プリンツ」の久保元幸さんが、プラチナプリント等を扱うアマナサルトで様々な手法でプリントを制作されていた。
久保さんとは、六本木にプリンツの暗室がある頃から伺っていたが、いつも白衣で(笑)、当時からある意味研究者だった。アマナサルトのダークルームにも伺ったが、一個人では揃えられないような機材にアマナが投資をして、プリントビジネスの可能性を拡張されていたのは素晴らしいと感じた。現在は、ライカ銀座店にて「ライカプレミアムプリントサービス」を提供されている。
また、デジタルプリントに強いFLATLABO(フラットラボ)は、現在銀座に移転して営業中だが、標準的なプリントはもちろん、大判、厚手のものや金属、布、サイネージまで扱っており、展覧会用のプリント依頼をはじめとして、写真家からの信頼は厚い。
アマナとは何だったのか。
進藤さんの人柄を一言で言うと、好奇心旺盛な方。また時代の流れに敏感で、新しいものを取り入れることに積極的。それがアマナグループを1000人の会社にまで成長させた原動力だと感じる。買収や合併、統合、譲渡などは多数あるが、それは各社との協議の中での結果であり、「ドライ」だと捉えるのか、「合理的」と捉えるのかは、人それぞれだろう。
私がアマナとパートナー契約をしていた2014〜2019年までは順調な業績だったが、コロナ禍は様々な業界に大きなダメージを与えた。写真や広告業界も同様。それがなければ、アマナもここまで業績を落とすことはなかったと思う。
アマナは2024年1月末で上場廃止となるが、その後は、逆に「外部の株主に気を遣わなくて済む」、ということになる。そこからアマナがどのような動きをしていくのかはまだ見えない。広告もアートも、写真業界に携わるものは気になっているはずだ。
現在、本体以外には、撮影を主としたアマナフォトグラフィや、キャステイング会社のニーズプラス、料理通信、海外ベースのアマナクリック等がある。撮影プロダクションに関しては、カブラギスタジオやササキスタジオもなくなり、いまや撮影を主にした大手カンパニーは、アマナフォトグラフィと博報堂プロダクツ内のフォトクリエティブ事業部くらいになってしまった。
個人的な意見にはなるが、アマナには撮影や制作といった、「作ること」にこれからも頑張って頂きたいなと思う。アマナ出身のフォトグラファーやプロデューサーの多くが映像を含め、同じ制作の業界で活躍している。アマナが多くの才能ある人材を輩出してきたのは事実であり、彼らも含めて広告写真業界に多大な貢献をしている。
CGやAIとの「共存」、「競争」、「共創」の時代へ
デジタルカメラやソフト、レタッチ技術の向上で、「広告写真」というカテゴリーにおいては、「一発撮り」という美学はない。25年前あたりに、さんざんライティングのMOOKを制作してきた私が断言します(笑)。
一発撮りで、「全体を照らし、ハイライトとロゴとグラデーションとフォーカスコントロールをする」、これはもはや古典芸能になり、その時代は過ぎ去ってしまった。今後はITに強い企業が、大量の写真データをまるまるAIに読み込ませ、クオリティの高い画像が生成されていく時代だ。
近い将来、ビジネスとしての撮影は終焉を迎えるかもしれない。でも人間が仕事をする限り、「人と人の感情の対話」はなくならないと思うので、「写真を撮る」という行為は画家が絵を描くように、在り続ける。
その上で、CGやAIを活用しながら、「どう共創していくのか」が、これからのフォトビジネスの課題だと思う。
アマナの話に戻すと、撮影とものづくりの会社であって欲しいと思う反面、そういった近未来に何を提供できるのか、その先を見てみたい。
SHOOTING編集長・フォトプロデューサー
坂田大作
Web Magazine「SHOOTING」編集長。株式会社ツナガリ代表。フォトディレクター、エディター、プロデューサー。
Webサイトを運営する傍ら、書籍「SHOOTING PHOTOGRAPHER + RETOUCHER FILE」を12年連続で発行。アマナトークラウンジや、日本最大の写真イベント「CP+」で毎年多くのステージを企画・登壇するなど、「写真」を軸に、ウェブ、出版、トークイベント等、メディアの垣根を超えて活動している。
2021年11月より、写真家らと組んで「NFT Art作品」の販売をスタート。「普遍的な作品の価値」を追求している。
https://shooting-mag.jp/
https://shooting-nftart.com/