ファインアート写真市場の中心地は米国ニューヨークだ。毎年、春と秋に大手業者による「Photographs」オークションが開催されるとともに、写真取り扱いディーラーの団体「The Association of International Photography Art Dealers」(AIPAD)主催のフォトフェアも開催されている。フランスでは世界的なフォトフェアのパリフォトが開催され、多くの来場者を集めている。しかし現地の観客の多くは写真鑑賞が主目的、作品を購入するのは米国などから訪れる海外客が中心なのだ。写真がファインアート作品として売れるようになるには、米国市場での認知度アップが極めて重要となる。
ジャンルー・シーフ(1933-2000)は、ファッション、広告、ヌード、ルポルタージュ、ポートレート、風景と幅広い分野で国際的に活躍した写真家だった。しかし、彼はフランス、日本では人気があったものの、主要市場の米国での知名度は低かった。彼の作品では、女性の背中、脚、お尻などが撮影されることが多く、フェティッシュ系やセクシー系の写真家との誤解もあったようだ。また他の欧州の写真家と同様に作品はオープンエディションで販売されていた。エディション数を設けなかったことも、米国人ディーラーやコレクターの興味が高まらなかった理由のひとつだと考えられる。1990年代以降になって、ファッション写真のアート性が市場で認知されるようになる。しかし、シーフは市場で正当な作家性の評価を受ける前に、67歳の若さでこの世を去ってしまう。
その後、2005年にシーフのキャリアを回顧する写真集「Time Will Pass Like Rain」(Contrejour、1990年刊)が、米国Taschen社から再版される。当時のアート系ファッション写真のコレクションブームの影響もあり、やっと米国市場で注目されるようになるのだ。いまでは、シーフ作品は60~70年代フランスのエレガントな時代の空気感を、優れた画面構成を持つモダンなイメージで表現していたと評価されている。
ジャンルー・シーフは1933年パリ生まれ。両親はポーランド人。 スイスで写真を学んだ後、1954年にフリージャーナリストとして写真撮影を開始。1958年までマグナムフォトに参加し、世界各地でルポルタージュを撮影する。1959年、若干25歳でニエプス賞を受賞している。しかし、 彼は当時の写真界で主流だった「決定的瞬間」を求める撮影アプローチには共感できなかった。その後は、雑誌「Elle」などでファッション写真の仕事を行なうようになる。
戦後のファッション写真の歴史を紹介する写真集「Appearances」(マーティン・ハリソン著、Jonathan Cape、1991)には、シーフが語った50~60年代の興味深いファッション写真事情が紹介されている。当時はファッションショーのランウェイを歩く、いわゆるショーモデルが被写体になることが多く、彼女たちは自然なポーズができなかったそうだ。またヘアドレッサーはいたものの、メイクはモデル自身が行っており、まるで人形のように派手だったと語っている。
シーフは戦後社会で自由に生きるリアルな女性像を表現したいと考えており、モデルにナチュラル感を求めていた。しかし当時のファッション誌は化粧品会社からの広告収入に依存しており、編集側の強い抵抗で彼女たちに濃いメイクを止めさせるのに苦労したそうだ。このエピソードからは、シーフは写真での洋服の情報提供を考えてはいなかった事実が明らかになるだろう。
彼はファッション写真を通して、女性が社会に進出し始めた当時の状況をドキュメントしようとしていたのだ。彼の作品は、時代の空気感が反映されたアート系ファッション写真の要素を持っていたともいえるだろう。
1961~65年まで、シーフは主にニューヨークに在住して仕事をおこなっている。ハーパース・バザーや 欧州版ヴォーグで活躍。特にヴォーグ・フランス版での仕事はギイ・ブルダンと共に注目される。1966年にはパリに戻りスタジオを開設。70年代~80年代にかけては、よりパーソナルな作品を制作するようになる。広告では、イブ・サンローランのオードトワレの広告でデザイナー本人のヌードを撮影したことで知られている。
シーフは60年代から広角レンズを使用した濃厚なモノクロ作品を制作している。広角レンズは焦点距離が小さいことからより広い範囲のスペースの撮影が可能になる。またパース効果で遠くのシーンが小さく、近いところは大きくなる。彼はその効果を意識して、ファッション、ヌード、風景などを撮影。通常の視覚を意識的に超えた、立体的なイメージ作りの可能性を探求している。
ファッション写真では、広角レンズの効果でファッションを身にまとったモデルの画面で占めるスペースが小さくなる。その代わりに、多くのストリートの要素を作品に取り込むことが可能となる。すでに60年代の時点で、洋服の要素がより付随的なファッション写真を制作していたのだ。ヌードでは、まわりのインテリアや風景の様々な要素を作品に取り込んでいる。シーフの広角レンズ作品は、方法論が目的化されているとの批判もある。しかし、彼は1枚の写真の中に様々な要素を詰め込んでストーリー性のある作品を作り上げようとしていたのだ。写真の中で時間経過の表現に挑戦したとも評価できるだろう。
1986年にはパリ市立近代美術館で写真展を開催。シーフ作品は日本でも高い人気を誇り、80年代後半から90年代前半にかけて多数の写真展が全国で開催されている。彼が作り出すモノクロの女性イメージは、自然な美しさと透明で乾いたエロチシズムを感じさせ、インテリアに飾っても違和感が全くなかった。日本ではよく写真が売れないと言われている。しかし美人画を好む日本人コレクターには、彼のオリジナルプリントの人気は非常に高かった。
彼は非常に多作な写真家だったが、膨大な過去の作品群は整理されることなく長らく放置されていた。そして早すぎる死によってその仕事の全貌は必ずしも明らかにされなかった。2007年になって、ファン待望の多数の未出版、未発表作品がセレクションされた「Les Indiscretes」(Steidl、2007)が未亡人のバルバラ・リックス氏の編集により刊行。2010年には日本でも回顧展「ジャンルー・シーフUnseen & Best Works」が東京都写真美術館地下1階展示室で開催されている。
シーフ作品のプリント販売は、生前にはあまり活発ではなかった。米国市場で彼の人気を決定づけたのが、写真集の再版と共に、2008年末からクリスティーズ・ニューヨークで2回行われた、ファッション系作品中心の「The Constantiner Collection」オークションだった。同オークションでは17作品が出品され、当時の厳しい経済情勢のなかでも全作品が落札、ほとんどが落札予想価格上限を上回っていた。米国市場でもシーフ作品の高い作家性がやっと認知されたのだ。最近では、2020年11月10日にクリスティーズ・パリで開催された「Photographies」オークションで、「Yves Saint Laurent, Paris, 1971」が、落札予想価格7000~9000ユーロのところ、13,750ユーロ(1ユーロ125円/約171万円)で落札されている。
現在は、市場にシーフ作品への潜在需要はあるものの、優れた作品の供給が少ない状況だ。オープンエディションだったが市場での流通量は多くなく、オークションでの相場は上昇気味だ。今後、大判サイズの人気作や希少なヴィンテージ作品が出品されるとかなりの高額落札が予想される。ファッションやヌードが良く知られているが、風景写真でも濃厚なモノクロの美しい抽象的な作品を残している。今後、注目される可能性は十分にあるだろう。没後約20年、シーフ作品のアート性の再評価がいまでも進行中だ。
BLITZ GALLERY
福川芳郎
ブリッツ・インターナショナル代表。金融機関勤務を経て1991年にアート写真専門のブリッツ・ギャラリーをオープン。写真展やイベントの企画運営、ワークショップやセミナーの開催など、アート写真に関する多様な業務を行っている。1999年にアート写真総合情報サイト『Art Photo Site』を開設。写真市場の動向や写真集の情報を提供している。共著に『グラビア美少女の時代』(集英社新書ヴィジュアル版、2013年刊)、編著に『写真に何ができるか』(窓社、2014年刊)。著書にアート写真集ベストセレクション101(玄光社、2014年刊)がある。