アート系ポートレート写真のいま
この分野では、写真家と被写体との関係性が極めて重要になる。お互いがアーティストとしてリスペクトしあうような状況で、写真家は被写体の今までに見たことがないような内面を引き出すことが可能になる。それは両者による一種のコラボレーションで、そのような撮影セッションから生まれた作品はファインアートだと認識されている。写真家が写真集などへの使用やギャラリーでの展示を自由にコントロールできるのだ。
ミュージックを被写体としたアート系ポートレート写真では、80年代以前に多くの名作が生まれている。特にロックの黎明期には、写真家とミュージシャンとの距離は近く、両者による信頼できるパーソナルな関係構築が容易だった。その後、ロックは多くの人が関わるグローバルなビッグビジネスに成長する。写真家に与えられる撮影時の自由裁量は極めて限定的となった。いまやごく一部の有名なスター写真家からのみ、時代性が反映されたロックスターや映画スターのアート系ポートレート写真が生まれるにとどまっている。
ハープ演奏家から写真家への華麗なる転身
マーカス・クリンコ(1961-)は、このような時代にアート系ポートレート写真の名作を生み出している数少ない写真家の一人だ。彼はデヴィッド・ボウイをはじめ、特にミュージシャンとの親密な関係性を構築している写真家だ。クリンコは若い時から音楽家として活動していた。クラシックハープのソリストとして世界ツアーを行い、EMIクラシックスと契約し、パリ・オペラ座バスティーユのオーケストラのメンバーと一緒にフランス音楽界の最高賞であるディスク賞のグランプリを受賞している。
しかし、キャリア絶頂期の1994年、手に怪我をして演奏ができなくなる。それがきっかけで、国際的なコンサートやレコーディングのキャリアから引退し、写真家への転身を図るのだ。写真はすべて独学で、それ以前は趣味としてさえカメラを持ったことがなかったという。
アンセル・アダムスの有名な写真テクニック解説書の「The Camera」に書かれている内容を毎日10時間もむさぼり読み、父親からもらった初めての35mmカメラを使用し、購入した店舗用マネキンでライティング効果の実験にのめり込む。そして、彼は写真で何かができるという確信をつかむのだ。
たぶん写真技術の習得は、果てしない反復練習を行った上で自らのスタイルを獲得するハープ演奏と通じる何かがあったのだろう。クリンコ自身は、音楽家時代のスキルと生活姿勢が写真の仕事にも役立っているという。特に謙虚であること、常に一生懸命働かなければならないこと、そして何事も当たり前だととらえないことは音楽家として学んだ教訓だと語っている。
その後、彼は自らのハープを売却して10万ドル以上の写真機材を買いそろえ、数々の写真撮影の実験を繰り返すようになる。この時期に彼はインドラニに出会っている。彼女は後に彼のスタジオのデジタル・ポストプロダクション・アーティスト兼写真編集者として、定期的にコラボレーションを行うようになる。クリンコは彼女の協力を得て、カラフルでハイパー・リアルが特徴の独自の写真スタイルを次第に確立させていく。
クリンコの写真の才能を見出したのはロンドン・サンデー・タイムズ紙に在籍していた有名編集者のイザベラ・ブロウだった。彼女は当時の新進気鋭写真家のクリンコにカバーストーリーを依頼した。同時期にインタヴュー誌編集長のイングリッド・シシーも、彼を様々な撮影に起用している。
デヴィッド・ボウイとの運命的出会い
クリンコは、デヴィッド・ボウイとの一連の仕事を通して、写真家としての名前が世界的に知れ渡るようになる。彼は2001年にボウイの妻イマンの「I am Iman」という本の表紙を撮影している。二人の出会いは突然だった。イマンが本の編集会議に予告なしでボウイを連れてきたのだ。彼はクリンコの写真を見てとても感銘を受け、その場でボウイ25枚目のアルバム”ヒ―ザン (Heathen)”(2002年)の撮影を依頼している。
同作タイトル名は「異教徒」を意味し、前年9月11日に起こった同時多発テロを意識して、未来が見えない時代を生きることがテーマに重なる作品だった。ボウイは、具体的なヴィジュアルのアイデアも持っていた。彼はクリンコに、そのヒントとなったマン・レイのイメージと、事前に自撮りをしていたポラロイドを見せたという。制作の方向性が決まると、すべての準備に数日をかけ、撮影はわずか1日で行われた。
クリンコによると、ボウイが同作で伝えようとしたのは 信念を失った男であり もはや宗教や政治のルールを信じていない男。彼が盲目を演じているのは、自分が持っていた信念を信じられなくなったことを表しているという。彼は、収録予定の楽曲をすべて聴き、ボウイのアルバム・コンセプトを十分に理解する。彼の用意したポラロイドのアイデアを最初のセットアップ撮影に使用し、ボウイが思い描くイメージを作り上げたのだ。
英国版GQ誌カヴァーのボウイとオオカミの合成写真
2002年、クリンコはもう1枚のボウイの代表的作品を制作している。GQ誌の表紙を飾った、野生の獰猛なオオカミとボウイのヴィジュアルだ。当初、彼はGC誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」に決定したボウイを撮り下ろす予定だった。しかし、ボウイはツアー中でスケジュールがどうしても調整できなかった。同作はなんとクリンコのアイデアで制作された、野生動物を使った手の込んだフォトモンタージュなのだ。クリンコはボウイによく似た身長と体型の若いモデルと野生のオオカミをスタジオで撮影。それをヒーサン・セッションで撮影されたボウイのイメージとポスト・プロダクション・スタジオで巧みに合成させたのだ。クリンコは、トラやヒョウのような派手すぎないオオカミこそがボウイを最も象徴していると考えたという。
ボウイ・アルバムのヴィジュアルでの成功により、クリンコの存在は音楽業界で注目される。その後、デスティニーズ・チャイルド解散後のビヨンセの最初のソロ・アルバム「デンジャラス・イン・ラブ」のジャケットを撮影。彼は独立した全く別のビヨンセの新しいヴィジュアル作りに見事に成功する。その後、マライア・キャリーの「The Emancipation of Mimi」など、当時の最も象徴的なアルバムカバーを制作し、写真家としての確固たる地位を築くことになる。
デジタル時代のヴィジュアル作りに対応
クリンコはいち早くデジタル時代に対応したヴィジュアルを生み出して成功をつかんだ。彼は様々な制約があるアナログ時代から、カラフルなハイパー・リアリズム的作品を制作していた。そのプロセスは、まずアナログ・フイルムで撮影して、その後にデジタル・データに変換したうえでリタッチ作業が行われていた。2002年、クリンコは写真作品制作を完全にデジタルに移行させる。デジタル・カメラを手に入れたことで、彼は真に表現の自由を獲得したのだ。いまでは、長年にわたり技術開発のパートナーシップを組んでいる富士フイルムの中判サイズカメラ FUJIFILM GFX100を愛用。彼は同カメラを、ヴィジュアルの新しいフロンティアを切り開き、多くの点で限界を押し広げる革命的なカメラだと評している。
また写真が独学だったので、彼にはアナログ時代のしがらみがあまりなかったのだろう。時代が求める、デジタル技術を駆使した大胆なヴィジュアル作りに躊躇なく取り組め、それが流行に敏感なセレブリティーたちに支持されたのだ。アナログ時代の経験が長い写真家は、どうしても「ストレート写真」や「決定的瞬間」の影響を無意識のうちに受けており、真に自由なヴィジュアル表現ができないのだ。
また彼がかつてクラシックのハープの演奏家だったキャリアも関係しているのではないか。この分野で有名な写真家に以前に紹介したテリー・オニールがいる。彼がもともとジャズのドラマーだったことが成功の背景にあると私は考えている。特にミュージシャンが被写体の場合、プロの写真家というよりも、同じミュージシャン仲間に撮られるという感覚が無意識のうちに働いていたのではないだろうか。そのような状況から、初期ビートルズやザ・ローリングストーンズの名作ポートレート写真が生まれている。クリンコのクラシック音楽家のキャリアも、被写体に共にアート作品を作り上げるような意識を醸し出す心理的効果をもたらしたのだと思う。
未来を見据えた最近の活動
クリンコは写真家に華麗に転身して以来、比較的短い機会に大きな実績を上げてきた。彼の写真集「ICONS」(Running Press刊)では、撮影の信条として「決して心地よい場所にとどまることなく、常に新しいテクニック、斬新なアイデアを探求し、カメラをとおして物語の伝達に心がけている」と語っている。
最近のクリンコは、社会におけるアーティストの立場により意識的になっている。HIVを持つ子供やその家族を支援する団体「キープ・ア・チャイルド・アライヴ(KEEP A CHILD ALIVE)」のキャンペーンでは、棺桶に入った有名人たちの撮影を行い、わずか数日でエイズと闘う子供たちのために100万ドル以上の寄付金を集めている。
今年の新型コロナウイルス危機の中では、作品売り上げの一部をチャリティー団体の「NHS Charities Together(NHSCT)」に寄付し、国営医療サービス事業NHSのスタッフや新型コロナウイルスの患者をケアするボランティアを支援している。
彼自身はロックダウンの時間を使用して、今後の撮影計画やアイデアのリサーチを行うとともに、以前の作品アーカイブの整理を行っているとのことだ。アート系ポートレートやファッション写真で最も重要なのは、作品に時代性が反映されていること。今回の世界的な新型コロナウイルスの影響は私たちの社会や生活に多大な影響を与えている。クリンコは、この状況をどのように感じ取って今後の作品に反映させていくのだろうか? 新作では新型感染症を経験した新しい世界像が表現されているだろう。
Markus Klinko(マーカス・クリンコ, 1961-)
クリンコは、スイス出身のファッション・ポートレート写真家。クラシックハープ奏者として国際的に活躍した経歴を持つ。1994年の手の負傷を契機に写真家へ転向。著名な雑誌編集者イザベラ・ブロウ、イングリッド・シシーらに見いだされ、世界的に注目される。それ以降、「Vogue」、「Vanity Fair」、「GQ」などで活躍。ビリー・アイリッシュ、ナオミ・キャンベル、ビヨンセ、レディー・ガガ、ブリトニー・スピアーズなど数多くのセレブリティーを撮影している。デヴィッド・ボウイと妻イマンも彼の才能を見抜き、写真集「I am Iman」(2001年)の仕事を依頼。その後、ボウイの25枚目のアルバム「ヒ―ザン(Heathen)」(2002年)のジャケット撮影を担当している。
日本では、2016年7月にギャラリースピークフォーで「David Bowie Unseen」展を開催。
2018年にブリッツ・ギャラリーなどで開催された「Bowie Faces」展に参加。
オフィシャル・サイト
https://www.markusklinkostudio.com/
BLITZ GALLERY
福川芳郎
ブリッツ・インターナショナル代表。金融機関勤務を経て1991年にアート写真専門のブリッツ・ギャラリーをオープン。写真展やイベントの企画運営、ワークショップやセミナーの開催など、アート写真に関する多様な業務を行っている。1999年にアート写真総合情報サイト『Art Photo Site』を開設。写真市場の動向や写真集の情報を提供している。共著に『グラビア美少女の時代』(集英社新書ヴィジュアル版、2013年刊)、編著に『写真に何ができるか』(窓社、2014年刊)。著書にアート写真集ベストセレクション101(玄光社、2014年刊)がある。