第22回写真「1_WALL」グランプリ受賞者個展 伊藤安鐘展「眼(まなこ)開きて尚、現(うつつ)を見ず」が、ガーディアン・ガーデンで開催される。
審査員より
伊藤安鐘の写真は、 ポータブルなカメラの誕生とともに生まれた、 カメラという機械のinstant(簡易的・即時的)な性質を、 新たに捉え直すものである。 彼女が撮影する、 匿名的で無国籍な風景は、 現代日本ではない別のどこか、 あるいは別の惑星で撮影されたもののように見える。 だが、 彼女のシリーズ「終(週)末ユートピア紀行」のタイトルに示されているように、 彼女は、 その世界の果てのような「終末」的な光景を、 彼女のささやかな「週末」に撮りためていった。 どこでもないユートピアあるいはアトピア(=非場所)は、 現実には、 関東近郊ないし郊外で撮影されている。 地球外のSF的光景を撮影するために、 ものものしい道具立ても、 機材もCGも一切必要ない。 被写体が必要であれば、 自分が被写体になればよい。 そこに二人の人物が必要なら、 二枚の写真を重ね焼きすればよい。 彼女の写真は、 このようなinstantな性質に貫かれ、 そして、 カメラのinstantnessとは本来どのようなものであったかを思考するのだ。 その意味で伊藤の写真には、 『惑星ソラリス』のシークエンスを東京の首都高速道路で撮影したタルコフスキー、 そしてSF映画という枠組みにおいて、 すべて現実のパリ市街でのロケーション撮影を貫いた『アルファヴィル』のゴダールと同じ、 非在の場所をいかに表象するかという問題に対する、 毅然とした態度が存在する。 実際、 そのような光景こそ、 真に非場的な場なのである。 そのようにしてカメラは、 現実からの跳躍を可能にし、 私たちの前に、 ユートピアをつくりだす。
沢山遼(美術批評家)
ステートメント
幼い頃は、 目を開けてもなお幻想が見えた。
隣で寝ている父親の背中に当時好きだったキャンディの形を模したチーズが転がっていたり、 頭上を十二支の動物たちがキラキラと揺らめき歩いていたりした。 こんな話をしても母親にすら信じてもらえないだろうと思い、 誰にも話さずにいたがその幻想はとても不安定で集中力をたえず働かせていないと消えてしまいそうなものだった。 (絶対に覚えておこうと思っていたおかげで今こうして文章になっている。 )
そしてそんな現実の記憶はどこまで確かであるのだろうか。
どこまでを現実とするのだろう。
ある時は、 夢で見たものと非常に似ている景色と出会ってどちらが現実なのか分からなくなった。
歪みの中に入った気分であった。
私たちの脳ミソは実は出来が良くなくて完璧な修理もできない。
記憶下の日々は退色していく。
目の前の景色を留めておきたいから、 あるいは記録として写真を撮ると言う人が世の大半であろうが、 私はもう一つの世界として収めたいと思っている。 要するに先に挙げたような無意識下で作られた世界を撮りたいのである。
この景色が見られるのは私しかいない。
ならば記憶から消えてしまう前に残すべきだろう。
伊藤安鐘
1996年 岩手県生まれ。
武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。
2019年 SHIBUYA/森山大道/NEXT GEN 入選。
2020年 第22回写真「1_WALL」グランプリ。
- ギャラリー名
ガーディアン・ガーデン
- 住所
東京都中央区銀座7-3-5 ヒューリック銀座7丁目ビルB1F
- 開館時間
11:00〜19:00 日曜・祝日休館(入場無料)
- アクセス
東京メトロ 銀座駅 徒歩5分
- URL