ソール・ライター(1923-2013)の大規模展覧会「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展が、2019年3月8日まで渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中だ。
彼はカラー写真で自己表現を行った先駆者と言われている。20世紀のアート写真は、長きにわたりモノクロによる抽象美を追求していた。カラー写真は広告やアマチュアが使用するものだと思われていた。ソール・ライターは、そのような環境下で、すでに40年代後半からカラーによる作品制作に挑戦していた。彼は元々抽象絵画の画家だった。カラー写真で抽象画表現の可能性に挑戦する意図があったのだと思われる。また日本美術も研究しており、浮世絵に影響を受けたグラフィカルな構図の写真でも知られている。
1981年、50才代後半のソール・ライターはファッション・商業写真のスタジオを閉じて第一線から身を引いてしまう。その後、隠遁生活を送るようになり、長きにわたりアートや写真業界から忘れ去られた存在になる。そして80歳代になってから、写真集「Early Color」の出版がきっかけで、写真史/アート史で本格的に過去の作品が再評価されるようになるのだ。
ソール・ライターは、キャリアを通して、写真、絵画の創作を継続したものの、作品を人に全く見せず、またまわりの評価をいっさい求めなかった。そのような彼のキャラクターは極めて個性的で、またユニークなキャリア変遷を歩んでいる。そのために、同展タイトルにあるように「伝説の写真家」と表記されることが多い。
ではソール・ライターは、どのような経緯で晩年になって評価されるようになったのだろうか。彼の作家性は、初期カラー写真を収録した写真集出版で突然に評価されたのではない。実は以下のようにファッション写真、モノクロ写真、そしてカラー写真の順番で評価が積み重なっていき、次第に人気が高まっていったのだ。
ファッション写真
ソール・ライターの作品で、最初に評価されたのは仕事で行っていたファッション写真だった。彼が第一線で活躍していた50年代後半から80年代前半は、カラー写真も、ファッション写真もアートだとは考えられていなかった。まず時代の気分や雰囲気を写したファッション写真のアート性が90年代になって新たに見いだされる。
そのきっかけは、1991年にロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された、戦後のファッション写真のアート性を提示した「Appearances: Fashion Photography Since 1945」。同展キュレーターの写真史家マーティン・ハリソンは、ソール・ライターが1963年にハーパース・バザーの仕事の合間にダブリンで撮影したアイルランド人少年のポートレート写真「Irish Boy,1963」を紹介。彼は「この写真は正確には雑誌に掲載されるような洋服の情報を伝えるようなファッション写真ではないが、着ている服装とともに伝わってくる少年の自信に満ちた姿はとってもスタイリッシュだ」と指摘。広義のアート表現になり得る、ファッション(時代性)の反映された写真だと分析しているのだ。
同展カタログには50年代から70年代までの、ハ―パース・バザーやノヴァに掲載されたソール・ライターのカラー作品6点が紹介されている。彼のファッション写真には、パーソナルなストリート写真の手法が取り入れられていた。そこには、当時の戦後ニューヨークの街中にあった軽やかな気分と雰囲気が見事に表現されていた。
マーティン・ハリソンは、この時点でソール・ライターがパーソナルに撮影していたカラーのストリート作品も広義のアート系ファッション写真に含まれると認識していたと思う。彼は2006年になり、ソール・ライターの人生を大きく変えたシュタイデル社刊行の「Early Color」の編集と作品セレクションを行っている。
モノクロ写真
続いてニューヨークのストリートで撮影していたキャリア初期のモノクロ写真が評価される。1992年に、キュレーターとして活躍していたジェーン・リビングストンは、「The New York School : Photographs, 1936-1963」という写真集を編集企画して発表。同書にはソール・ライターが1947年~1951年までにストリートで撮影したモノクロ作品13点が収録されている。
リビングストンは、1930年代から1960年代にかけてニューヨーク市に住み、活動していた写真家たちの16人を選び、かれらを「ニューヨーク・スクール・フォトグラファー」と大まかに定義。それらには、アレクセイ・ブロドビッチ、リゼット・モデル、ロバート・フランク、ルイス・ファー、ウィリアム・クライン、ウィージー、ブルース・デビットソン、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドンなどが含まれる。
これら写真史の重要人物リストの中にソール・ライターも加えられたのだ。同書では、彼の写真はストリート写真の伝統を取り入れているものの、さらにその背景にある社会の思いやフィーリングまでを探求していると評価している。マーティン・ハリソンによる、彼のファッション写真の評価と重なる認識だといえるだろう。
ニューヨーク・スクール・フォトグラファーは、雑誌の仕事を行う一方で、ストリートで撮影したパーソナル・ワークでこの分野の表現の境界線を広げてきた。彼らは、ニューヨークのストリートで繰り広げられる様々なシーン、コニーアイランドのビーチの群衆、祝祭やネオンサインのまぶしい光、などを主題に撮影。また1940~50年代初期にハリウッドで制作されたB級モノクローム映画「フィルム・ノワール」の世界観を共有していたとも言われている。
実は、著者のリビングストンに、ソール・ライターを推薦したのはリチャード・アヴェドン(1923-2004)だったと言われている。二人はともに、アレクセイ・ブロドビッチが主宰していた伝説のワークショップに参加している。同年代の二人は、たぶんお互いの作品を意識していたのだと思われる。
モノクロ写真の同書掲載もソール・ライターのその後のキャリアに多大な影響を与えている。それきっかけで、ニューヨークの老舗ギャラリーのハワード・グリーンバーグがソール・ライターの存在を知ることになる。その後、1997年のカラー写真による個展開催、そして写真集「Early Color」出版へとつながっていくのだ。
カラー写真
カラー写真のアート性が本格的に注目されるのは90年代後半から2000年代になってからだ。カラーで絵画のような大判作品を制作する、デュッセルドルフ・クンスト・アカデミーでベッヒャー夫妻に学んだアーティストの登場が大きく影響している。アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルート、ヴォルフガング・ティルマンスなどだ。私は、2001年ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されたアンドレアス・グルスキー展が、米国市場に大きく影響を与えたと考えている。
2011年11月のクリスティーズ・ニューヨークではアンドレアス・グルスキーの「RhineⅡ、1999」が写真作品のオークション最高落札額の4,338,500ドル(当時の為替/1ドル/78円/約3.38億円)で落札。日本では2013年に国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー」展が開催されている。
ここで重要なのは、21世紀になってから写真のデジタル化が進み、すべての分野のアーティストが写真を表現方法に取り組むようになったこと。それまでは独立して存在していたアート写真と現代アートの市場が次第に融合していくのだ。現代アート系のカラー写真の登場がきっかけで、従来の写真史におけるカラー写真表現の本格的見直しと再評価が業界と市場で行われるようになる。
ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショア、ジョエル・マイロウィッツ、リチャード・ミズラック、ジョール・スタンフェルド、ヘレン・レビット、ルイジ・ギリ、エルンスト・ハース、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィットなどのカラー作品の再評価が行われ、その流れは現在も続いている。
特にシリアス・カラーの父呼ばれていたウィリアム・エグルストン(1939-)は、現代アート系のコレクターに大きく注目された。2012年3月12日、彼のかつてダイトランスファーで制作販売された初期作品がデジタル技術で大判化され、それらの単独オークションがクリスティーズ・ニューヨークで開催された。オークションは大成功で、彼の代表的写真集「William Eggleston Guide」の表紙を飾る3輪車の大判作品が約57.8万ドル(当時の為替/1ドル/84円/約4855万円)のエグルストン作品のオークション最高額で落札された。2000年代からはじまったソール・ライターによるカラー写真の再評価もこのような流れの延長線上にあるのだ。
20世紀に活躍した写真家は、作品のテーマ性やコンセプトを自ら語ることはあまりない。上記の現代アートの視点からの作品再評価は、おもにキュレーター、評論家、ギャラリスト、写真家などの第三者による見立てによって行われた。ソール・ライターも例外ではなく、生前は作品制作の意図、目的などはいっさい語らなかったという。しかし、キャリアを通して写真撮影と絵画制作に取り組み続けた結果、複数の人に作品のアート性が見立てられた。
それらは、写真史家マーティン・ハリソン、写真家リチャード・アヴェドン、キュレーターのジェーン・リビングストン、ギャラリストのハワード・グリーンバーグ、出版人のゲルハルト・シュタイデル、映画監督のトーマス・リーチなどだ。ソール・ライターは、上記のように複数の人による作家性の評価の積み重ねの末にキャリア晩年になり、人気がブレイクしたのだ。
今では、彼のストリート写真、ファッション写真、ヌード・ポートレート写真には、戦後ニューヨークの時代性が見事に反映されていたと認識されている。特にカラー作品では、それらの印象は色彩の表現により見る側に強く伝わる事実を提示した。
彼はシンプルな生活を送り、邪念を持たずに世の中と対峙し続けた。自分の持つ宇宙観を世界で発見し、それらを写真や絵画で表現する行為に喜びを感じ自らを支えていた。そのリアリストの生き方の実践自体がすべての創作に横たわる大きな作品テーマとして認められたともいえるだろう。
彼の死後、2014年にソール・ライター財団が設立されている。残された膨大な作品の発掘と調査は現在進行中とのことだ。今回の展覧会でもその成果の一部が紹介されている。いま「伝説」の写真家の実像が次第に解き明かされつつある。
「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
開催期間:2020年1月9日〜3月8日
(2020年4月11日~5月10日 美術館「えき」KYOTO/京都 に巡回)
公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/
BLITZ GALLERY
福川芳郎
ブリッツ・インターナショナル代表。金融機関勤務を経て1991年にアート写真専門のブリッツ・ギャラリーをオープン。写真展やイベントの企画運営、ワークショップやセミナーの開催など、アート写真に関する多様な業務を行っている。1999年にアート写真総合情報サイト『Art Photo Site』を開設。写真市場の動向や写真集の情報を提供している。共著に『グラビア美少女の時代』(集英社新書ヴィジュアル版、2013年刊)、編著に『写真に何ができるか』(窓社、2014年刊)。著書にアート写真集ベストセレクション101(玄光社、2014年刊)がある。