「伊藤之一写真集『テツオ』出版記念ルーニー企画展」が、ルーニィ・247フォトグラフィーで開催される。

無骨にそびえたつ送電鉄塔に人間味や愛らしさを感じレンズを向け続ける「テツオ」シリーズの最新作。

同名写真集の完成を記念して開催される本展では、150点あまりのモノクロ写真による、様々なシーンの中で捉えた鉄塔の作品が展示される。

写真と鉄塔の出会いは、
作為的な運命のようなものである

写真という表層には、裏がない。だが、じつのところ、表もない。
写真と呼んでいる、そのモノは、モノではないのだ。
鉄塔にも正面がない。ということは、側面や、背面もない。
どこからどう見ても、鉄塔は鉄塔である。写真が写真であるように。
そのような写真と鉄塔が出会うというのは、どのようなことだろうか。
鉄塔はどこにでもあるものではないのだから、この点で、途方もなく不自由である。その一方で、鉄塔をどこからどのように撮ろうと、それはかならず鉄塔の写真になるのだから、あまりにも自由である。
したがって、写真と鉄塔の出会いは、必然であるはずがないものの、偶然でもない。強いていうなら、それは作為的な運命のようなものである。そのようなものがありうるだろうか。
あるとするなら、固有名がそれであろう。
 テツオは、単数であり、複数である。伊藤が、単数であり、複数であるように。鉄塔に出会い、カメラを向ける伊藤は、ありふれている。だが、このテツオに出会い、カメラを向ける、この伊藤は、単独のものである。
とはいえ、こうした出会いの単独性にのみ注目してしまうと、寓意としてのテツオをとらえそこなうことになる。伊藤はテツオを撮っているとも、テツオに撮らされているともいえる。この能動性と受動性の共存が、対象としての鉄塔を超えて、寓意としてのテツオを練り上げていく。
撮りつつ撮らされ、撮らされつつ撮るという、不可解な出来事が起きる場所、それは、身体である。これに対して、なぜと問うことには意味がない。カメラを持つ身体とは〈そういうもの〉だからだ。
同じモノを撮ることほど、苦痛なことはない。写真を撮る精神は、反復を嫌う。しかし、カメラを持つ身体は、反復を愛する。反復には、表も裏もない。この観点からも、写真と呼んでいる、そのモノは、モノではない。だからこそそれは、テツオと呼ばれることになった。
さて、あなたは、このテツオとどのように出会うのだろうか。
写真評論家 上野修
 
「テツオ」N books
判型:A5判
ページ数:128ページ
発行:株式会社日本カメラ社
価格:1,800円(税別)
 

展示会風景


写真集COVER
 

展示会情報

ルーニィ・247フォトグラフィー
http://www.roonee.com/

ギャラリー名
ルーニィ・247フォトグラフィー
住所
東京都新宿区四谷4-11 みすずビル1階
開館時間
12:00-19:00  最終日16:00閉館 / 月曜日休館
アクセス
東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅下車 徒歩3分